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Your search : [ author:戴徳忠 え·魯忠民] Total 40 Search Results,Processed in 0.108 second(s)
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11. 現代若者列伝 上海青年宮で出あった三人
上海市の中心に総面積一万四七〇〇平方メートルの上海青年宮というのがある。ここは、かつての「大世界」である。構内には展示会場、野外劇場、映画劇場、図書館、講演会場、ダンスホール、コンサートホールなど十数箇所の、青年のための施設があり、毎日、夕方になると、夜のひとときを楽しむ元気な若い人たちで賑わっている。毎日のべ一万人の入場者があり、週末や祝祭日などの晩にはもっと増えるそうだ。六月の週末の夜、若い人
Author: 戴徳忠 Year 1984 Issue 9 PDF HTML
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12. 貴州で発見された鍾乳洞の奇観
今年の八月、首都北京で中国貴州省の鍾乳洞をテーマに写真展が開かれ、大成功をおさめた。展示された百二十余枚の、さまざまな形態の鍾乳石の独特な画面、ふしぎな眺め(巻頭グラフ参照)が観衆をおどろかせた。観客数はのべ五万人に達したという。王震中国共産党中央政治局委員、中日友好協会名誉会長が開幕式に出席し、テープカットのはさみをとった。有名な詩人の艾青(アイチン)は展示をみたあと「大自然の大奇跡!」と揮毫し
Author: 戴徳忠 Year 1984 Issue 11 PDF HTML
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13. 「科学万博―つくば’85」 中国館の見どころ
この三月十七日から、日本の筑波研究学園都市で、「人間、居住、環境と科学技術」をテーマに、国際科学技術博覧会(略称は科学万博―つくば’85)が開催されている。外国館のひとつとして参加した中国館は、展示面積二〇〇〇平方メートル。展示品は、日本に送られる前に北京で事前展覧された。中国館参観の案内として、その見どころをご紹介することにしよう。中国伝統の居住空間―四合院と庭園展示ホール内で最も人目を引くのは
Author: 戴徳忠 Year 1985 Issue 5 PDF HTML
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14. 雪の北海道に十四年劉連仁氏のその後
日本敗戦から十四年の一九五八年二月、雪深い北海道の山奥で、洞窟にひそんでいたひとりの中国人労務者が発見された。当時、このニュースは内外を驚かせ、日本人民は、いまさらながら戦争の傷あとの深さに慄然とした。あれからすでに二十七年、強制連行、強制労働、逃走、そして十四年目にしてやっと戦争の終結を知る、という苛酷な運命にもてあそばれた中国農民劉連仁さんは、その後どうしているのだろうか?はたして健在なのだろ
Author: 戴徳忠 Year 1985 Issue 8 PDF HTML
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15. 雲南の大水力発電基地 紅水河
枯れることのない水力資源中国第二の河川·黄河は、水中に黄褐色の土砂を多量に含んでいることでつとに有名だが、雲南省、貴州省、広西チワン族自治区を流れる紅水河は、その大量の水が赤味を帯びていることからこう名づけられている。これまで黄河は水力資源の“宝庫”といわれてきたが、紅水河の流水量はその三倍にも相当し、開発条件、技術·経済面の指標からも開発に有利なことが分かった。ですから、紅水河は黄河と並ぶ水力資
Author: 戴徳忠 Year 1985 Issue 11 PDF HTML
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16. 中国の保険事業
「本当だろうか」湖南省灃(フオン)県に住む農民·湯永華さんは、失火で家も家財道具もみんな焼いてしまった。悲しみのあまり、生きる気力もなくしていたとき、村のある幹部が見舞いに来て言った。「あんた、保険に入っているんじゃないかね?なぜ県の保険公司へ行って保険金を払ってもらわないのかね」「たった七元の保険料しか払ってないのに、うちの家を弁償してもらうなんて。夢みたいなこと言いなさんな」と、湯さんは失望し
Author: 戴徳忠 Year 1986 Issue 5 PDF HTML
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17. 勝利油田のもうひとつの顔
勝利油田に評判になっている人物がいる。ボーリング隊の英雄でもなければ、採油隊の労働模範でもない、養鶏場長である。八四年、旧正月の前日のこと。油田で働く人たちは年越し用の品物を買おうとしたのだが、この時、市場のタマゴの値段がぐっとはね上がり、五〇〇グラム一·二元だったものが二·二元と、倍近くになってしまった。消費者の不満を招いたのはいうまでもない。この時だった、萊州湾養鶏場が〇·九五元という破格の値
Author: 戴徳忠 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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18. 公営企業破産第1号 てんまつ記
中国では、国家としてはまだ国営企業破産法は制定されていませんが、経済体制改革を推進するためにその経験を積むべく、現在、四大都市の十一の企業において試行しているところです。 この報告では、破産警告を受けた瀋陽市の三工場を例にとり、うち二工場の復活ぶりと、ついに破産宣告されるに至った一工場の破産てんまつ記をお伝えします。瀋陽市防爆器械工場―東北地区瀋陽の地方公営企業の一つである。昨年の八月三日、この工
Author: 戴徳忠 Year 1987 Issue 1 PDF HTML
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19. 国際市場めざして
昨年、青島市で開催された全国ワイシャツ·ブラウス品評会で、北京ワイシャツ工場が生産した「天壇」ブランドのワイシャツと「冬梅」ブランドのブラウスがともに第一位を獲得した。ひとつの工場で、二つの最高賞を独占してしまったのである。結果が発表されると、会場には一瞬、どよめきの声があがったほどだった。なぜ、こうした結果になったのだろう。世界の有名ブランドをてがける北京ワイシャツ工場は、北京市の東北部に位置す
Author: 戴徳忠 Year 1987 Issue 7 PDF HTML
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20. 北京の求人求職センター
求人と求職が同じ場所でおこなわれる。人材を求める企業と、よりよい職場を求める人びとが、ここ「求人求職センター」で、双方納得がいくまで話し合うのである。こんな情景は、改革前には想像することすらできなかった。人びとは、この求人求職センターを、親しみをこめて「労務市場」と呼んでいる。人材を見定めるつい最近開かれたばかりの北京市西城区求人求職センターは、月壇公園内に設けられている。建物の外にまで、求人広告
Author: 戴徳忠 Year 1988 Issue 5 PDF HTML