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Your search : [ author:写真=翟天慶 郭実 文=郭実] Total 222 Search Results,Processed in 0.085 second(s)
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21. 「改革·開放」の旗手深圳特区
一九八〇年に設立された深圳経済特区は、十五年間の飛躍的な成長を経て、人口二万の小さな田舍町から人口三百万、年総生産五百六十億元に達する、上海、北京、天津、広州に次ぐ全国第五位の近代的大都市に発展した。統計によると、特区の総生産高は十五年来、年平均三五·九%の延びを示し、三年ごとに倍増した。中国では「改革開放」政策の全面的な進展に伴い、「対外開放都市」や「経済開放区」が全国各地で増えている。このよう
Author: 写真·文郭実 Year 1995 Issue 12 PDF HTML
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22. 二千年の歴史を持つ蜀の町―黄竜渓
四川省の省都成都(チョントウ)から西南九〇キロの所に景色のよい、素朴な人々の住む古い町黄竜渓(ホワンロンシー)がある。うねうねと続く錦江(チンチアン)が町の周りを流れ、川面には漁船が漂い、遊覧船が行き交う。青い石畳の道を行くと、横町には明、清時代の民家がびっしりと立ち並んでいる。町のそこここに、樹齢七百年を超える六本のガジュマルが葉を茂らせている。夕暮れ時、寺の鐘の音が響き渡るころ、家々からかまど
Author: 写真·文 郭実 Year 1996 Issue 6 PDF HTML
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23. 福建省南靖に見る客の土楼
福建省の西部地方に残る客(はっ)家(か)の土楼は、四百年ほど昔の明代に黄河中下流域から戦乱を逃れて南方に移住した人々―後に客家と呼ばれるようになった人々が建てた独特の住居である。匪(ひ)賊(ぞく)や野獣の襲撃を防ぐため、高くて堅固な、窓のない外壁に囲まれた土楼で、円形のものと方形のものとがある。記者はことし初め、土楼の取材のため南靖(ナンチン)県書詳(シユーシャン)郷を訪れた。この地方の山間部を車
Author: 写真·文 郭実 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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24. おもしろい野生パンダの習性
幼いころ動物園で私が最初に覚えた動物はパンダだったと思う。大きくなって初めてパンダが中国中西部に生息し、世界で絶滅にひんしている希少動物のひとつであると知った。調査によれば野生のパンダは現在およそ千頭にすぎないといわれる。記者としてぜひパンダの故郷をルポしたいと思い続けてきたが、ついに機会に恵まれた。昨年四月下旬、四川省林業庁の協力を得てパンダの生息地に足を踏み入れることができたのだ。成都から車で
Author: 写真·文 郭実 Year 1997 Issue 1 PDF HTML
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25. 苦労とスリルの人工繁殖
臥竜に滞在中、最も興奮したのは「中国パンダ保護研究センター」で、パンダが発情し、異性を求め、ペアリングするまでのすべてを、この目で見たことだった。臥竜保護区の核桃坪にある研究センターは、水の流れる山あいの絶好の環境につくられ、飼育場、獣医棟、研究実験室などがある。私が着いたとき、パンダたちは自分の飼育舎の庭で、ぶらぶら歩いていたり、ごろりと横になって日向ぼっこなどをしていた。レンガの壁に囲まれ、小
Author: 写真·文 郭実 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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26. 住民とパンダの心の触れ合い
蜂桶寨(フォントンヅァイ)は四川省宝興(バオシン)県の小さな山村だ。住民が木の桶を使って蜂を飼っているので、この名がついた。ずいぶん前からパンダが自由にこの村に現れ、気ままに人家を訪ねて餌を探していることで、すっかり有名になった。一九七九年に宝興県に四万ヘクタールのパンダ自然保護区が設けられたときにも、この蜂桶寨の名が選ばれた。蜂桶寨自然保護区はパンダが比較的に集中して生息している邛崍(チュンライ
Author: 写真·文郭実 Year 1997 Issue 3 PDF HTML
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27. 昔話に富む白馬チベット族の村
青蔵高原の東麓の岷山(ミンシャン)山脈はパンダの主な生息地のひとつである。四川省平武(ビンウー)県はこの地域の中心地で、有名な王朗(ワンラン)自然保護区も県内にある。平武県の町から王朗へ向かう途中、民族的な生活習慣と伝説ゆたかな白馬(バイマー)チベット族の村を通る。白馬チベット族はパンダの故郷で暮らしているので、パンダには一種の特別な感情を持っている。彼らの古老たちの語る昔話にも、パンダが登場する
Author: 写真·文 郭実 Year 1997 Issue 4 PDF HTML
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28. シーサンパンナがいっぱい―梅苑飯店ダイ風大酒楼
今から二、三十年ほど前、北京のレストランで出る料理と言えば、魚か肉に決まっていた。当時はまだそういうものが乏しく、食用油も不足していたからだ。だが改革開放後、暮らしが豊かになり、今はもう北方の寄せ鍋から南方の生鮮魚介類まで何でも食べられるご時世。経営者もいろいろ勉強して、料理そのものはもちろんのこと、料理を提供する環境にも民俗的な、文化的なプラスアルファを売り物にしたレストランがずいぶん増えてきた
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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29. 羊肉で気分はシルクロード新疆材食堂街
八○年代に入って、地方から北京に出かせぎに来る人がどんどん増えてきた。臨時雇いとか個人営業とか、世過ぎの道はさまざまでも、同じ省から来た人が一カ所に固まって住むようになり、「浙江村」「安徽村」「新疆村」といった「村」が自然にできてきた。どの村もそれぞれの特色があるので、例えば服を買おうと思えば浙江村に行く。浙江省の人は昔から縫製のうまさで有名だからだ。そして西部の味を賞味したいと思えば、行くところ
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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30. 清朝建国に大功残す?
北京の大衆的なレストランでは、何年かおきに新しい料理が流行する。例えば四川料理の酸菜魚(スアンツアイユイ)だ。酸菜は、発酵させて酸っぱくした白菜の漬物のこと。そのスープに新鮮な魚を入れたのが酸菜魚で、数年前に初めて北京に紹介されて以来、あちこちに「酸菜魚村」なるものが出現し、人気料理の一つになった。しばらくして登場したのが紅燜羊肉(ホンメンヤンロウ)だ。羊肉を煮込んだスープの中に赤トウガラシ、ハル
Author: 写真·文 郭実 Year 1998 Issue 10 PDF HTML