Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.215 second(s)
-
2931. 大地を駆け抜ける高速列車
中国の鉄道は今年四月十八日、第六回スピードアップを実施した。時速二百~二百五十キロの国産列車を主役に、中国は新しい高速列車時代を迎える。二十一時間が十二時間に北京で販売の仕事に携わる李さん(四十五歳)。仕事柄、出張が多い。夜、上海行きの直通列車に乗る。上海に着くのは次の日の朝。昼間、用事を済ませたら、その日の夜行列車に乗って北京へ戻る。「この仕事は出張ばかりで、特に若いころは、一カ月に七日も家で過
Author: 張春侠=文 劉世昭=写真 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
-
2932. 心の交流が生まれた日本人女性たちの敬老院訪問
故宮の北に位置する景山公園と北海公園の間は、灰色のレンガや瓦の平屋と胡同(フートン)(横町)が広がり、昔ながらの北京の雰囲気が残る一帯だ。ここに、三十人余りのお年寄りが静かに暮らす老人ホーム「什刹海金秋園敬老院」がある。
Author: 王浩=文 楊振生=写真 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
-
2933. 多彩なカードが溢れる社会に
財布からカードケースへ大学を卒業して二年になる二十四歳の張丹さんは、現在北京の外資系企業で働いている。午前九時から午後五時まで、ほとんどの時間は厳しい上司の元で忙しい仕事に追われ、リラックスできるのは仲間といっしょにランチを食べるわずかな時間だけ。昼休みにはいつも、特色あるレストランがずらりと並ぶ付近のレストラン街に足を運ぶ。張さんは、財布の中からさまざまなカードを引っ張り出す。「どれもお気に入り
Author: 侯若虹=文 馮進=写真 Year 2007 Issue 5 PDF HTML
-
2934. 親子のやりとりを歌って大人気に「吉祥三宝」
いま中国では、内蒙古自治区出身の夫婦とその姪のユニット「吉祥三宝」が大人気だ。彼らは、グループ名と同名のファーストシングル『吉祥三宝』で一躍有名になった。モンゴル民謡特有の旋律を用いて、両親と娘のほのぼのとしたやりとりを歌にしている。人情味あふれ、大草原のさわやかさを運んでくると評判だ。夫のブレンバヤルさんは蒙古族、妻のウリナさんはエベンキ族。以前は二人とも、内蒙古ホロンバイル(呼倫貝爾)大草原の
Author: 文·王浩 表紙写真·楊振生 Year 2007 Issue 6 PDF HTML
-
2935. キノコがもたらす循環型ライフ
キノコ栽培で豊かに周口店北京原人遺跡がある北京市西南部の房山区は、昔から農業を主な生産手段としてきた地域だ。近年、新しい農産業の発展を画策し、生産活動や生活の面で現地の農民たちにさまざまな変化をもたらしている。大石窩鎮南河村に住む丁興財さん(四十五歳)はキノコ栽培を生活の糧とする。所有するキノコ栽培用ビニールハウスは、長さ約百メートル、幅約十メートル。レンガを積み上げて一方の壁を高く、一方の壁を低
Author: 侯若虹=文 馮進=写真 Year 2007 Issue 6 PDF HTML
-
2936. 「普通話」を勉強中の香港の学生 陳緼珊さん
表紙の五人は陳緼珊さん(左から二番目)と彼女のクラスメートの李慰慈さん(左端)、林頴玲さん(右から二番目)、董頴嘉さん(右端)、李紫婷さん(左から三番目)。彼女たちは、香港理工大学専上学院中英バイリンガル同時通訳コースの二年生だ。香港で生まれ育った彼女たちは、幼い頃から広東語を話しているため、「普通話(標準語)」は得意ではなく、ヒヤリングと会話の能力が若干劣っている。この数年、香港では標準語を使う
Author: 文·侯若虹 表紙写真·馮進 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
-
2937. 復帰後10年香港はどう変わったか
香港が中国に復帰して十年。 「一国二制度」政策で、その社会制度を残しながら、祖国に復帰した香港は、果たして繁栄と安定を維持し続けられるのか、と世界中が注目してきた。 混乱を予想して、海外に居を移した住民も少なくない。 確かにこの十年は、平坦な道ではなかった。アジア通貨危機が降りかかり、重症急性呼吸器症候群(SARS)にも襲われた。 しかし香港は、したたかに生き抜いた。経済は以前にも増して繁栄し、安
Author: 侯若虹=文 馮進=写真 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
-
2938. 豊かさ求めて絵筆をふるう
絵で生計を立てたい呉瑞球さん(三十六歳)の名刺には、絵筆を握った手の図が印刷されている。深圳大芬美術産業協会の会長を務める呉さんは、「私は画家ですが、画商でもあります」と自らを紹介する。呉さんは広東省の農家出身。父親が早くに亡くなったうえ、兄弟が多かったため、十五歳で学校をやめ、家計を手伝うようになった。十四歳上の兄、呉瑞周さんは、故郷の美しい自然風景に魅せられたせいか、子どもの頃から絵を描くのが
Author: 侯若虹=文 馮進=写真 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
-
2939. ヨットの都
八月の青島国際ヨットレースが近づくにつれて、青島の「ヨット」の息吹は次第に濃厚になり、「ヨットの都」としての魅力もますます明らかになっている。青島の空港、港、バスターミナル、迎賓大道、市区の主な通り、住宅街、広場のいたるところに見られる、二〇〇七年青島国際ヨットレースの看板、ポスター、オブジェなどが、全国各地から青島を訪れる人々に告げている。「ここはヨットの都で、国際ヨットレースの開催地、二〇〇八
Author: 荘暁蓉=文 杜永建=写真 Year 2007 Issue 7 PDF HTML
-
2940. やんちゃ坊主から金メダリストへ 劉翔選手
二〇〇四年アテネ·オリンピックの一一〇メートルハードルの決勝で、劉翔は一二秒九一の成績で金メダルをつかみ、「陸上の短距離種目で黄色人種も金メダリストに」という望みを実現した。劉翔は一九八三年、上海のごく普通の家庭に生まれた。幼いころ、父は躾(しつけ)にとても厳しかった。劉翔はいたずらをすると、父に知られるのをもっとも恐れた。しかし母にとってはいつでも、世界一の息子だった。普段、友達とのおしゃべりで
Author: 文·王浩 表紙写真·羅更前 Year 2007 Issue 8 PDF HTML