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Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.076 second(s)
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251. マナス河からサイラム湖へ
ウルムチからイリ河畔の伊寧(グルジャ)市までは西へ七〇〇キロ余り。漢代の地図ではその長途の行程が空白に近く、城郭らしいものは無い。唐代になって、途上に「守捉(しゆそく)」と呼ばれる幾つかの軍事拠点が出現し、文献に張堡、葉河、東林、西林などの名を留めるが、今は跡形もない。ただ、マナス河の河畔、石河子市に遠からぬ処に正方形の土城壁の跡があり、傍らに烽火台らしき高みがある。ここは、いまだに発掘されていな
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 2 PDF HTML
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252. イリ地方
「果実の谷」のこと山中の湖サイラム湖からイリ地方へと南下し、三〇キロの延長をもつダロチ山峡に沿う曲りくねった自動車道路を行く。両側は松や杉の緑も鮮かな山なみで、見下せば、峡谷のいたる所湧き出る水が一本の川をなしている。路傍にはしきりに野生のリンゴとアンズが見られ、その香りにうっとりする。この静かな山峡に「果実の谷」という美称があると聞いていたが、納得した。ウルムチからイリ盆地への陸路では、「果実の
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 3 PDF HTML
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253. 中路の要衝「火州(トルファン)」
シルクロード北路をたどって中国西部国境まで行ってきてから、私はウルムチへもどって一息いれ、東行してトルファンへ赴き、新疆南部の旅を始めた。新疆南部でシルクロードはタクリマカン大砂漠の南縁と北縁に沿い自ずと二つ―中路と南路―に分かれる。トルファンは中路の一要衝である。『隋書』に曰く。「敦煌より西海(地中海)に至るには三路があり、その中路は高昌より……ペルシャに至り……」古代の高昌国の中心はトルファン
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 4 PDF HTML
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254. 吐魯番(トルフアン)盆地から塔里木(タリム)盆地へ
風の庫(くら)吐魯番(トルフアン)を離れて西へ向かう。ジープはオアシスを抜け、スピードメーターはたちまち一〇〇キロまで上った。「なんだってこんなに飛ばすんだい」とたずねると、「この先は風の入口だから、早く通り抜けないとね。もし大風にぶつかったら、こんなジープなんぞひっくりかえされちまうかも知れないんだから」と運転手が言う。かれの言うところでは、一九七七年、風力十二(秒速三二·六メートル)をこえる大
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 5 PDF HTML
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255. 博斯騰(バグラシ)湖から孔雀(コンチ)河へ
唐僧玄奘法師は『大唐西域記』の中で「高昌の旧居をはなれて、まず近きより始めんものと、阿耆尼国にむかう」と書いている。この「阿耆尼」とは、サンスクリットのAgniからきた呼称で、漢語の史籍にいう「焉耆」のことである。焉耆について、『前漢書』には「焉耆国は……海水に近く魚が多い」と記され、『後漢書』には「焉耆は……四方を大山に囲まれ、亀茲国に連なり、道が険阻で守りやすい。海水があり、四方の山の間に出入
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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256. 北京の児童たち
いまの子どもたちは仕合わせだ―とつくづく思う。がんばってくれよ、なあ、君たち。君たちがパパになりママになるころは、21世紀なんだゾ。お父ちゃんもお母ちゃんもがんばるからな。
Author: 撮影 本誌記者 Year 1980 Issue 6 PDF HTML
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257. 塔克拉瑪干(タクリマカン)砂漠周辺の旅
庫爾勒(コルラ)を離れて、西の方庫車(クチヤ)をめざす。天山南麓のなだらかな斜面に、平坦な幹線道路がまっすぐ伸びている。道の一方には天山山脈に連なるさして高からぬ山、もう一方には広大な平原がゆるやかに南に傾斜しつつ塔里木(タリム)河畔までつづいている。車はここから、川すじに沿った幹線道路を川の流れと逆にすすむ。西から東へと流れるタリム川の南がわは、もう塔克拉瑪干(タクリマカン)砂漠である。面積三二
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 7 PDF HTML
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258. 克孜爾(キズル)千仏洞から克孜勒(キズル)谷へ
庫車(クチヤ)県城を離れ、ふたたび「娘よ、とどまれ」とよばれる漢代の峰火台を通りすぎて、拝城(バイ)県への山道をたどる。めざすは克孜爾(キズル)千仏洞中国最西部の石窟寺キズル千仏洞はわが国最西部の大型仏教石窟で、敦煌よりもなお早い時期に作られており、仏教芸術東流の跡を熱心に探求している学者たちから、ことのほか重視されている。西へすすむ山道は、北上して大澇巴(ラオバ)へいった道よりもはるかに平坦で走
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 8 PDF HTML
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259. シルクロード今と昔(21)
千年前の山賊の証敦煌壁画にも克孜爾(キズル)千仏洞の壁画にも、旅商人が強盗に襲われる場面があった。昨年から全国の話題をよんだ舞劇「絲路花雨」(シルクロード物語·甘粛省舞劇団創作および公演)でも、シルクロードを行く旅人が強盗に襲われる筋立てをもりこんで、中国人とペルシャ人の友情をめぐる悲喜こもごもの物語をくりひろげた。長い長いシルクロードの旅の途中、東西の旅商人が強盗にあうことは、おそらくありえない
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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260. 中国最西端の町―喀什
はじめて新疆へ来たとき、友人たちから、喀什(カシガル)をほめるさまざまな言葉を聞かされたものだ。「カシガルへ行かなければ、西域の風貌はわからないよ」「カシガルは南新疆の花だものね」「ウイグル人は、ウルムチよりカシガルの方が上だと見ているんだよ」この魅力に富んだ辺境の都市は、ウルムチに長らく住む新疆人にとってさえ、はるかかなたの土地である。ウルムチからの行程一五〇〇キロ、長距離バスで七日もかかる。だ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 10 PDF HTML