ウルムチからイリ河畔の伊寧(グルジャ)市までは西へ七〇〇キロ余り。漢代の地図ではその長途の行程が空白に近く、城郭らしいものは無い。唐代になって、途上に「守捉(しゆそく)」と呼ばれる幾つかの軍事拠点が出現し、文献に張堡、葉河、東林、西林などの名を留めるが、今は跡形もない。ただ、マナス河の河畔、石河子市に遠からぬ処に正方形の土城壁の跡があり、傍らに烽火台らしき高みがある。ここは、いまだに発掘されていな...
Please login first!
ウルムチからイリ河畔の伊寧(グルジャ)市までは西へ七〇〇キロ余り。漢代の地図ではその長途の行程が空白に近く、城郭らしいものは無い。唐代になって、途上に「守捉(しゆそく)」と呼ばれる幾つかの軍事拠点が出現し、文献に張堡、葉河、東林、西林などの名を留めるが、今は跡形もない。ただ、マナス河の河畔、石河子市に遠からぬ処に正方形の土城壁の跡があり、傍らに烽火台らしき高みがある。ここは、いまだに発掘されていな...