Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.077 second(s)
-
261. カシガルからホタンヘ
喀什(カシガル)の民族手工業は、新疆で盛名を馳せている。市の軽工業局では、われわれの案内に、ウイグル族の女性通訳をひとりつけてくれた。かの女は名をアシヤといい、青い瞳が澄んで美しい。玄奘は『大唐西域記』のなかで、佉沙国(カシガル)人の「青い目」についてふれているが、まったくそのとおり青いのである。アシヤさんは子供のころから漢族の学校で学んで、きれいな漢語を話すことができる。落ち着いた服装に身を包み
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
-
262. 和田(ホタン)―古代于闐国
玉門関外の美玉以前、筆者が河西回廊の酒泉からいくつか玉器(ぎよくき)を買って帰ったとき、ある友人がそれらを見て、何の玉かとたずねたものだ。祁連山玉だと答えると、かれはこう言った。「なんだ、それじゃ玉門関のこちらがわの玉じゃないか。関のむこうの崑崙玉なら、もっとすばらしいのになあ」昔の人びとは一般に玉門関を内地と西域の境界と考えていた。唐詩に「春風渡(わた)らず玉門関」(王之換「涼州詞」)とうたわれ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1980 Issue 12 PDF HTML
-
263. 西沙群島を行く
海南島の南端に立つ中国南海に浮かぶ西沙群島への道すじに、「天涯海角(テイエンヤーハイジヤオ)」といわれる海岸の名勝地がある。それは、中国で二番目に大きい島―海南島の最南端にあり、行政的には広東省崖県に属する。ヤシの木、シュロの木、そして巨大な花崗岩におおわれた海岸の岩場でそこから南が、ひろびろとした南中国海なのだ。まさに「天涯海角」の名が示すように、この地に立つと、「はるけくも来たるものかな」の実
Author: 本誌記者 南英 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
-
264. 砂漠に埋もれた故城
和闐(ホタン)を離れて于闐へむかう道みち、新疆博物館の李遇春副館長が、「わたしたちは于闐から于闐へむかっているんですよ」と冗談をとばした。筆者もまけずに、「つまりじっと一カ所にとまっているわけですな」と応じる。運転手の馬(マー)くんはこの謎がわからないから、「フルスピードで走っているのに、なんだって一カ所にとまっているなんていうんですか」と小むくれの体である。謎をあかせば、古代の于闐国は、いまでは
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1981 Issue 1 PDF HTML
-
265. 西沙群島を行く
大なまこの養殖もここは、典型的な熱帯地方であるだけに、日光の直射時間がとくに長く、しかも強い。朝五時に目が覚めると、もはや強い日光が差し込んできて、目が眩しい。夜は、さわやかな風がふいてよく眠れるが、朝になるとたちまち気温が高くなる。年間の平均温度は摂氏二六度前後、冬のもっとも低い温度のときでも二四度はあり、四、五月から三〇~四〇度の夏季となる。記者は、林のなかにある野外食堂で朝食をすませてから、
Author: 本誌記者 南英 Year 1981 Issue 2 PDF HTML
-
266. 砂漠一周 旅の終わり
砂漠を一日歩きまわって、安迪児(アンデイル)牧場に帰りついた時には、もう夜も更けていた。ラクダの背に揺られて、腰や背中がどんなに痛もうと、まだ、ロバの背中から四度も振り落されてどんなに動悸がしずまるまいと、とにかく嬉しかった。なにしろとうとう重なる砂丘のかなたの「迷宮」の奥深くにふみこんだのだ。とうとう砂漠の「迷宮」のまん中で、古代の円形城市を探訪することができたのだ。かの完全に残された城壁、かの
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1981 Issue 2 PDF HTML
-
267. 西沙群島を行く
息をのむ海底の花園東島を出発しようとしているとき、都合よく北京と青島からやって来た十数人の科学者に出会った。中国科学院海洋研究所と海洋博物館の人たちである。海藻類の研究者が多いが、腔腸動物、棘皮動物、魚類、貝類などの研究者もいるという。科学者たちは、東島から四〇浬あまり離れた宣徳群島に属する趙述島へ調査に行くのだと聞き、さっそく仲間に加えてもらった。私たちの船は、ゆりかごのようにゆれながら波を切っ
Author: 本誌記者 南英 Year 1981 Issue 3 PDF HTML
-
268. 寒山寺の鐘声
幼いころから古詩に接してはいたが、おうむ返しに暗誦するだけで、意味のほどはよく理解できなかったし、また理解しようともしなかったものだ。そんな私が、生かじりに覚えた最初の詩が、唐の詩人張継(ちようけい)の「楓橋夜泊」であった。月落烏暗霜満天,江楓漁火対愁眠, 姑蘇城外寒山寺,夜半鐘声到客船。月落(つきお)ち烏啼(からすな)いて霜天(しもてん)に満(み)つ
Author: 本誌記者 秦泥 Year 1981 Issue 4 PDF HTML
-
269. 西沙群島を行く(最終回)
珊瑚と貝の島永楽群島の主な島々は、点々と環状に連なっているが、その南側があいていて、馬蹄形をなし、湾のようになっている。この湾内は水深約五〇メートルだが、湾外の水深は一〇〇メートル以上もある。金銀島から珊瑚島までは、一時間ちょっとで着いた。この一·七平方キロしかないちっぽけな島について、すでに千数百年前、晋代の学者裴淵が『広州記』という本の中で「珊瑚洲,在県南千里,昔人于海中捕魚,得珊瑚」と書いて
Author: 本誌記者 南英 Year 1981 Issue 4 PDF HTML
-
270. 内蒙古草原放牧の暮らし
騎馬民族の名に恥じない民族内蒙古草原に入ってまもなく、思いがけない事故にあった。ある日の夕方、ホト(牧畜民の集落)での取材を終えて、宿泊所に戻る途中、車が故障してしまった。運転手は顔じゅう汗だらけになりながら、修理したが、どうしても直らない。通訳の田茨さん―彼女は高校生で夏休みのアルバイトとして通訳を買って出てくれた―が車の警笛を鳴らして、“救援”を求めた。けれども、これもむだである。二人の若者は
Author: 本誌記者 李 奈 Year 1984 Issue 5 PDF HTML