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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.114 second(s)
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2501. 豆腐料理のフルコース「豆腐宴」
北京重陽(チョンヤン)大酒楼の謝登勇(シエトンヨン)料理長は最近、全品豆腐を使った献立を始めた。揚州料理の逸品「文思豆腐(ウェンスードウフ)」、日本でもおなじみの四川料理「麻婆豆腐(マーボードウフ)」、西湖湖畔の名菜「蝦仁什錦豆腐(えびととうふのごもくいため)」など。豆腐料理もうまく取り合わせると、色、香り、味、形が調い、酸味、甘味、塩味、唐辛子とさんしょうの辛み―の五つの味がそろう。豆腐は、大豆
Author: 文·沈永淳 写真·狄華 Year 1996 Issue 8 PDF HTML
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2502. 東南地方第一の奇景 武夷山の山水
武夷山風景区は、中国の南東部に延々と連なる武夷山脈の北部、福建省武夷山市の南部にあり、面積は七〇平方キロ、独特の山水風景で知られる国立重点風景名勝区の一つである。武夷山は赤い砂岩でできた丘陵であるが、何万年も前から地殻変動で絶えず地表が変化し、特色ある九曲渓を形成した。渓流の両岸には三十六峰が並び、さらに七十二個の洞穴、九十九個の奇景があるので、「東南第一の奇景」と賞されている。武夷山には新石器時
Author: 文·劉東平 絵·魯忠民 Year 1996 Issue 8 PDF HTML
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2503. 孔子から孫中山まで
毎年、北京の街に迎春花の花が咲き始めるころ、中国人民政治協商会議の全国会議が開かれる。わたしもこの会議の委員に選ばれているが、なにせまだ「一年生委員」で経験不足、それでも先輩たちに教えを乞(こ)いながら自分なりに一生懸命発言したり、提案をだしたり、視察にでかけたりしている。会議そのものに身を入れる一方、会議のあい間に各方面に造詣の深い委員と知り合いになり、お話が聞けるのも、わたしのひそかな楽しみの
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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2504. 媽祖信仰の古里―湄州島
福建省の湄州湾に、太い眉のような形をした小島がある。面積は一六平方キロ、海の女神媽祖の古里―湄州島で、信者一億人の媽祖信仰の発祥地であり、現在世界中一億人の五〇〇ある媽祖廟の本家がここにある。媽祖の本名は林默、宋の建隆元年(九六〇)三月二十三日(旧暦)に生まれた。彼女は心根が優しくてよく人助け、薬草を用いて病気の変化を予知した。また水の性質や気象に通じ、天気の変化を予知して出航の可否を判断した。し
Author: 文 劉東平 絵 魯忠民 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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2505. 祖国に復帰する香港
香港は中国南部の海岸線にはめこまれた「東洋の真珠」であって、昔から中国の神聖な領土である。だが、この百五十年間、香港の空にはずっと「ユニオンジャック」が掲げられていた。 1997年7月1日零時にイギリスのユニオンジャックが降ろされ、中華人民共和国の五星紅旗が昇る。これによって、中華民族の身体に百年間降り積もった塵埃を払い落とし、長年の国辱を雪ぐことになる。 香港の復帰はもう秒読みの段階に入ったが、
Author: 写真·王衆記 文·曾慶南 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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2506. 変わるもの、変わらないもの
今年の四月、日本を一人旅した。四月十二日の午後JALの782便で北京を飛び立ったときの気温は十八度、成田に着いて気温を聞くと六度だとのこと、東京の寒い春に驚く。ホテルに入って夕刊をみると「花凍る
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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2507. 清·「穿珠梅花」盆景
盆景芸術は、芸術的に加工し自然の景観を縮小·構成したものである。中国の盆景芸術の歴史は古く、1971年に陝西省乾県の唐代の章懐太子李賢墓の墓道で発見された壁画には、侍女が盆景を持っている図が描かれている。この墓は706年の建造なので少なくとも1200年以上前から盆景があったことがわかる。宋代から明、清代にかけて盆景の専門書も数多く現れ、中では『長物誌』『花鏡』などが知られている。金銀珠玉を寄せ集め
Author: 文·劉静 写真·劉明傑 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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2508. 「花菇無黄蛋」と「紅焼肉」
亡くなった中国の指導者毛沢東は湖南の人。彼が生前最も好んだ十種類の湖南料理をいつのころからか「毛家菜」と呼ぶようになった。北京新駅の近くにある天華(ティエンホワ)大酒楼は「毛家菜」で知られる。料理顧問の韓阿福(ハンアーフー)さんは何十年もの間、毛主席の台所を預かった人である。高齢のため毎日は店に出ないが、「毛家菜」の作り方は弟子の楊大清(ヤンターチン)と王剛峰(ワンカンフォン)に伝授してあり、二人
Author: 文·写真 狄祥華 沈永淳 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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2509. 点と線
「点と線」―これは松本清張の小説のタイトルにあったように記憶している。このごろ自分が歩んできた道のりのなかの「点と線」、つまり歩んできた道のりのなかのある事柄(点)が、道のり全体の流れ(線)にあたえた影響などについて考えることがある。また、逆に道のり全体の流れからある事柄での自分の行動、態度などについて考えることもある。もちろん、いずれも漠然としたもので、とても文字にできるようなものではないが……
Author: 文·李順然 題字·絵 于叔方 Year 1996 Issue 11 PDF HTML
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2510. 清·寿山石「嘉慶尊親之宝」印璽
印章は書と彫刻と鋳金とが一体となった工芸である。初めは個人や役所の証明のしるしとしての実用から生まれた。秦以前の印章はほとんど金属で作られたので「鉩」といわれ、秦の始皇帝の中国統一後は印章に玉を用いたので、帝王の印章を「璽」と称するようになった。1644年、満州族の清朝が成立したが、清朝は漢族その他の民族の思想文化を吸収発展させ、多民族の特徴を具えた文化の伝統を形づくった。清代皇帝の印璽制度もその
Author: 文·惲麗梅写真·馬暁旋 Year 1996 Issue 11 PDF HTML