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Your search : [ author:郭実] Total 221 Search Results,Processed in 0.075 second(s)
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211. 泰山をアピールする 王千倩さん
泰山は、中国山東省泰安市の北部にそびえる。悠久の文化と歴史、美しい自然の景色で、国内外に知られている。古くは孔子が「登泰山而小天下」(泰山に登れば、天下を小とす)と称した。そんな泰安市の市内に、王千倩(ワンチェアンチェアン)さんの家がある。山東農業大学を卒業したばかりの彼女は、泰安市旅遊局に抜擢されて、泰山のイメージキャラクターとなったのだ。生まれも育ちも泰山のふもとの彼女は、泰山に対して、言葉で
Author: 表紙写真·郭実 文·王浩 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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212. 美しい海浜都市―青島
青島は中国の有名な海浜観光都市で、避暑地としてもよく知られている。同市は山東半島の南側にあって黄海に面し、日本や韓国とも近い。青島の空気は澄んで適度に潤いがあり、気候は爽やかで過ごしよい。年間の平均気温は一二·二度で、八月の平均気温は二五度である。青島は背後が山、前が海で、青い海に緑の山、明るい太陽に焼けつくような砂浜が独特の風光をもたらした。海岸には岩礁がつらなり、あちこちに桟橋があって、魯迅公
Author: 写真·郭実 劉東平 文·劉東平 絵·魯忠民 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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213. 華僑の歴史ドラマ語る望楼たち
広州市から国道を南西に二百キロ、華僑の故郷として知られる開平市に入る。到着と同時に、訪れた人は田園風景のなかに現れる奇妙な建築群にたちまち魅きつけられるだろう。壮麗な欧米式の建物は異様に目立ち、何か歴史的ドラマの存在を感じさせる……。こうした建物の歴史は、清朝初期までに遡る。当時の開平は低地のため繰り返し洪水の被害に遭い、村人達は次第に家を三、四階建てにするようになった。それらの大部分は土、ごく一
Author: 企画·俞長安 写真 文·郭実 協力·黄奕強 Year 2001 Issue 2 PDF HTML
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214. マイホーム時代の新生活
中国では近年、都市住宅制度改革(住宅改革)が進められてきた。中国の住宅は、福利住宅(勤務先から賃貸する公有住宅)から商品住宅(使用権、所有権などを個人が購入する私有住宅)に変わり、住宅を手に入れる方法も、「住宅分配」を待つスタイルから、個人の経済力をよりどころにした「商品住宅購入」に変わった。そして住宅こそが、庶民の最大の私有財産となった。こうした一連の改革は、生活に多くの変化をもたらしただけでな
Author: 文·侯若虹 写真·郭実 魯忠民 馮進 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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215. 山頂に棚引く白雲―陶弘景と茅山
西暦五〇一年、蕭衍(しょうえん)が挙兵して斉(せい)を倒し、皇帝(南朝の梁(りょう)の武帝)を名乗って梁を打ち立てる。その後、政権奪取に当たって自分を支持し、国号まで付けてくれた道士陶弘景(とうこうけい)(四五六~五三六年)に感謝の意を込めて、何度も出仕を要請したが、彼は南京の近くの茅山(ぼうざん)に隠居して頑として応じない。一体、あの山の中に何があってそんなに離れ難いのか、と武帝が尋ねると、陶弘
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイ) 写真·郭実(クオシー) Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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216. あつい信仰を集まる孫思邈―薬王山と道教医学
観光バスに乗って西安から耀(ヤオ)県まで北上、それからオート三輪に乗り換えて薬王山(やくおうざん)に向かう。これまで回ってきた道教の聖地にはだいたい薬王廟(びょう)か薬王殿、薬王洞があって、お参りの信徒たちが引きも切らずに訪れていた。人々は昔から長寿と健康を願って、熱心に薬王を拝んだ。北京の白雲観といわず、台湾の鼓山廟といわず、薬王の像の前に来ると信者でない観光客までが線香を立て、自分や家族の無病
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイ)写真·郭実(クオシー) Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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217. 永楽宮の壁画と呂洞賓伝説
山西省·芮城(ルイチョン)にある永楽宮の道教壁画は敦 煌(トゥンホアン)の壁画に引けを取らないと聞き、前からあこがれていた。その後、芮城が呂洞賓(りょどうひん)の故郷だと知って、いやが上にも訪ねてみたい気持ちになった。西安(シーアン)の八仙宮を後にして鉄道で東の黄河(ホアンホー)を渡り、風陵渡(フォンリントウ)で長距離バスに乗り換え、芮城に直行した。道教関係のほとんどの資料には、呂洞賓はいまの山西
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイ) 写真·郭実(クオジー) Year 1998 Issue 7 PDF HTML
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218. 終南山に全真道を訪ねる―王重陽と大重陽万寿宮
唐·宋時代に全盛期を迎えた道教は、遼(りょう)の時代に入ってから衰退の一途をたどるが、王重陽(おうちょうよう)(一一一二~一一七〇年)が全真道(ぜんしんどう)を開くと、金(きん)·元(げん)時代にかけて勢いを盛り返した。王重陽は道教史に大きな足跡を残した人物。道教の寺院には必ず王重陽と七人の弟子の塑像や画像が祭られている。特に王重陽の生涯を描いた山西省芮城(ルイチョン)県にある永楽宮(えいらくきゆ
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオシー) Year 1998 Issue 9 PDF HTML
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219. 刻まれた『道徳経』-全真道揺らんの地を訪ねる
中国の文化史上、王重陽(おうちようよう)の山東行脚は老子(ろうし)が函谷関(がんこくかん)を出て西方に赴いた話ほどは重視されていない。しかし、これが全真道の創始と道教復興のきっかけとなったことはだれもが認める事実である。快適な列車に乗って缶ビールを飲みながら、その昔、たく鉢して飲みつ歌いつ長旅を続けた王重陽の気持ちを想像するのは難しい。だが、宗教的な執念もさることながら、海への強いあこがれが、うま
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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220. 竜門洞から長春観へ―丘処機の足跡をたどる
一七四年、全真道の祖師王重陽(おうちょうよう)の三年の喪が明けると、弟子たちは互いに別れを告げ、それぞれの道を歩み始めた。丘処機(きゆうしょき)は戸(フー)県から、現在の陜西省宝鶏(バォチー)の磻渓(パンシー)に移り、洞穴の中で厳しい修行に打ち込んだ。六年間、毎日一食の施しを受けて飢えをしのぎ、食器一つ置かない質素な暮らしを続けた。その一方で、困難に耐え抜く根性を鍛えるために夜も昼も眠らず座禅を組
Author: 文·楊天乙(ヤンティエンイー) 写真·郭実(クオーシー) Year 1998 Issue 11 PDF HTML