Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:西園寺公一] Total 55 Search Results,Processed in 0.108 second(s)
-
11. 中国の酒(2)
シルク·ロードをきた蒸溜酒前号では、中国の八大名酒のうち、醸造酒の紹介がすんだので、この号では、蒸溜酒にうつろう。八大名酒のうちの蒸溜酒は、汾酒、西鳳酒、茅台酒、大麯酒、白蘭地の五つである。中国における蒸溜酒の歴史は、だいたい西暦十二、三世紀ごろかららしい。十三世紀に始まったというフランス、十五世紀からといわれる英国よりはいくらか早い。しかし、蒸溜法の元祖はエジプトで、三、四千年まえに蒸溜法を発見
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 12 PDF HTML
-
12. 広州の蛇料理
中秋の螃蟹(パンシエ)これは昔から北京の食通にはなくてはならないものであった。この季節が過ぎると冬がくる。冬は、喰いしん坊にいわせれば、ジンギスカン焼きや、羊鍋の季節であり、西洋人も大いによろこぶペキン·ダック、つまり烤鴨(カオヤーズ)子の季節である。「あなた、もうじき広州に行くでしょう。いまは、ちょうど蛇が美味くなった季節ですよ。蛇王満という専門の店がありますからネ、たくさんたべていらっしゃい」
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 1 PDF HTML
-
13. 卓球と囲碁
広州の秋の交易会の閉幕式に出席したあと、ちょっと健康をそこねた僕は、広州市内から自動車で一時間半ほどの従化温泉で休養していた。明日は広州へひきあげようという日、ふと新聞をあけると、日本からかえってきた中国卓球チームの表演賽、つまり、エクシビション·マッチの広告が眼にふれた。それも、ちょうど明日の晩あるというので、さっそく広州へ電話して、平和委員会に切符の手配をおねがいした。日のあるうちに従化から広
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 2 PDF HTML
-
14. ダライ·ラマの息子たち
久しぶりにアナ·ルイズ·ストロング女史をおとずれた。ストロング女史は、ご承知のかたが少なくないとおもうが、延安の毛沢東主席から、有名な「張り子の虎」のインタビューをとったアメリカの新聞記者である。今年七十七歳ながら、身体もすこぶる健全、頭脳もすこぶる明晰である。「アメリカの友人や、読者から、いろんな手紙がくるんですがネ、ほら、こんなことを大まじめで聞いてきてるのがありますよ―中国は、国内の士気を昂
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
-
15. 北京日記ぬきがき
一月末から約一月北京をはなれていたため、四月号には執筆できませんでした。また北京で元気にやっているのをお知らせ致したく、最近の日記からの抜き書をごらんに入れます。二月二十八日(木)いい天気だ。久しぶりに一点の雲もない。風もない。おだやかな日だ。モシで開かれた第三回アジア·アフリカ連帯大会に出席した日本代表団のなかから、四人が招かれて北京にきているが、その諸君を、今日は、頤和園、つまり万寿山へ案内し
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 5 PDF HTML
-
16. 十年一昔まえ
モスコウから五日の旅昨晩、北京飯店新楼七階の大広間で、平野義太郎さんのために、中国の平和委員会·アジア·アフリカ連帯委員会·政法学会の主催で、盛大な酒会がひらかれた。その席で、平野さんがしみじみと懐かしそうに思い出話をしていたが、中国在住の日本人の帰国の問題をはなしあうために、日本平和委員会·日中友好協会·日本赤十字社の三団体の代表団が、中国紅十字会に招かれて北京へきたのがちょうど十年まえのことで
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
-
17. 魚鷹
定期刊行物、とくに月刊雑誌にかくということには、いろいろ厄介なことがある。いちばん困るのは、季節感がずれることだ。雑誌が出て、自分のかいたものをよんでみると、気のぬけたビールのように感じることがよくある。一例をあげれば、万寿山の昆明湖の氷がとけているのにおどろいた云々とかいた「中国便り」が読者のみなさんにとどくのが、日本ではもうそろそろ春もおわり、夏をむかえようという時季だとあっては、いささか間の
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 7 PDF HTML
-
18. 石榴·西瓜·松崎さん
「中国のざくろの花の赤い色は、とてもあざやかで美しいですネ。こんな可愛い鉢うえのざくろだから、さぞ可愛い実がなるのでしょう」と、僕が言ったら、「この石榴は重瓣(やえ)だから、実はなりませんよ。実のなるのは単瓣(ひとえ)のです」と、郭沫若先生がおしえてくださった。郭老は、「百花齊放」と題する、百花を詠んだ詩集があるくらいだから、植物にはなかなかくわしい。その「百花齊放」をくってみると、ある、ある、石
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 8 PDF HTML
-
19. 嬉しいこと悲しいこと
「暑中御見舞申し上げます。炎暑の折柄、先生には御健勝にて御活動の事と拝察申し上げます。最近貴国から大阪へ帰って参りました友好商社の友人より、『今年的豊収没問題!』の見通しの報告を受け、私共は大きな感動と喜びを禁じ得ませんでした。云々」こういう暑中見舞の手紙を日本の知人からうけとった。タイプして、宛名と署名が肉筆の手紙である。ぼくはこういう手紙をよくうけとる。そして、うけとるたびに、気がつかずにこう
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 10 PDF HTML
-
20. 菊咲いて蟹肥ゆ
「万寿山」と日本の人たちはいっているが、頤和園が西太后の夏の離宮全体の名まえである。その頤和園の昆明湖に竜王廟というのがある。小さい島になっていて、十七孔橋をわたってこの島に到る。ここに万寿山飯店というホテルのあるのを知っている人はあまりないようだ。去年までは南湖飯店と称していたが、今年は万寿山飯店という看板がかかっている。いぜん竜王廟に仕える人々の住んでいた宿房に手をいれて、中国式の旅舎に改造し
Author: 西園寺公一 Year 1963 Issue 11 PDF HTML