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Your search : [ author:西園寺公一] Total 55 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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1. 中國日記から
日中両国のあいだに、あかるい、建設的な関係をつくりだそうと、一生懸命たたかつている日本のみなさんに新年のあいさつを送ります。みなさんに力づけられて、日中友好のためにいささかでも働きたいと、一家で北京に來てから一年近くになります。そのあいだに見たり、考えたりしたことをほんの少しばかり日記帳からひろつてみました。今晩、山東省の済南市から汽車で北京に帰つて來たところですが、沿線の野良には農民が総出で、刈
Author: 西園寺公一 Year 1959 Issue 1 PDF HTML
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2. 日中友好の歩みをかえりみて
今年も多くの、そして、さまざまな代表団や、個々のかたがたが日本から来られた。そのうちの多くのかたがたが私の北京の住居を訪ねて下さったが、異口同音に、「すばらしい庭ですね!」といわれる、住居のまえのその庭はもう冬にそなえる姿だ。北京特有の紺碧の空が高く、深い日には、この庭のアカシヤの葉の黄色がみごとだし、霧の濃い早朝には、濃い緑の葉をゆるがせもしない、どっしりとした柏(はく)の姿がりっぱである。二匹
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 1 PDF HTML
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3. 北京の八木節
今年の一月ごろだったと思うが、北京に東方歌舞団というのができた。新聞にのった初公演の番組のなかに、八木節とあるのが目についたので、ぜひ見たいと思いながら、なかなか機会がなかった。ところが、数日まえ、首都各界の主催によるキューバの第二回ハバナ宣言支持の大会に出席したら、その日の余興に、この東方歌舞団が出演し、八木節もやるという。はからずも望みがかなうことになり、八木節の本場群馬県が故郷の家内も大よろ
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 4 PDF HTML
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4. 養魚と釣リ人
「春水一池巧喂魚」―池の水も春めいて、養魚にはもってこいだ、とでも訳すのか、ともかく、人民日報の「知識小品」欄に、こういう見出しで、薛奕明さんという人が書いた養魚の話をベッドの上でよんでいると、釣り友だちの姚さんが見舞いにきてくれた。彼は「牙科大夫」、つまり、歯科の先生である。魚釣りとなると、僕同様、いささかケモノ偏に王さまだ。日本の侵略時代、さんざんいじめられたのが崇って、体をわるくしたのを、解
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 5 PDF HTML
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5. お茶のいろいろ
初夏のある一日、日本の芝居の話かなにかで、田漢さんから連絡かあり、広済寺へいった。広済寺には中国仏教協会の本部かおかれており、りっぱなお寺である。本堂の西側を塀でしきって、寺僧の宿房かならんでいる。案内の坊さんか、そのうちの一つの日除けの簾をかかげると、坊さんではないか坊主あたまの田漢さんが、ニコニコと迎える。「やあ、いらっしゃい。話をしたり、ちょっとものを書いたりするのには、もってこいでしょう?
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 6 PDF HTML
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6. 茶攤·茶館·「髒口」
寒くなれば、からだが冷えこむので、熱いお茶がほしい。暑くなれば、喉がかわくので、お茶がほしい。春夏秋冬、お茶がいらないという時季はない。それだから、北京の街には、いつも「茶攤児」(ツアータル)がでている。つまり、王府井や、長安街や、前門外など、大通りの片すみに、低いテーブルをおき、低い腰かけをおいて、深い白い蓋つき茶碗で茶を賣る。露店の一種である。茶攤児の親爺には、隠居しごとの老頭児(ラオトル)が
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 7 PDF HTML
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7. 「政経不可分」の旅
ある日中国の友人と日中貿易の話をしていた。いまだに日本政府が政経分離などと寝言をいっているのにたいして、僕が腹をたてるのを、彼はニヤニヤしながらきいていた。「西園寺さん、あなたは平和運動、友好運動のベテランですネ」と、彼はとつぜんいいだしたものだ。「つまり、政治かんけいですネ。ところで、あなたもじっさいは政経分離論者ではないのですか?」「えッ?僕が、なんですって?」「いま、広州の交易会がはじまって
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 8 PDF HTML
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8. 上海の朝
胸に白字で「日本」とかいた紺の揃いのトレーニング·シャツとパンツで朝の外灘(ワイタン)に出ると、たちまち子どもたちが集まってくる。大人たちも寄ってくる。体操がすすむにつれて、まるく人垣ができてしまう。「あ、松崎(スンチー)がいる!」「あれは木村(ムーツン)だ!」去年の第二六回世界卓球選手権大会のあと、日中友好試合で上海をおとずれたときいらいのお馴染みとはいえ、子どもたちのよく知っているのにはおどろ
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 9 PDF HTML
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9. 『林海雪原』の曲波さんを訪ねて
三伏の一日、約束の三時半におくれまいと、うだるような北京の街を車をとばせて、東城区東総布胡同の中国作家協会の接待所へむかった。日本でも多くの人によまれた『林海雪原』の著者にあうためである。カンナや、むくげや、夾竹桃が暑そうに咲いている中庭を突っきって、応接室につくと、小柄な青年が、陽焼けした顔に、まっ白い歯で、笑みかがやきながら、足ばやにやってきて、両手で僕の右手をしっかりと包んだ。このキビキビし
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 10 PDF HTML
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10. 中国の酒(1)
八大名酒論争親しい友だち幾人かがよって、楽しくだべっているうちに、談たまたま酒のことにおよんだ。「そこでサ、中国の八大名酒ネ、いろいろいう人があるけど、ほんとは何と何なんだろう?」と一人がいいだした。「そりゃあ、まず茅台酒、それから、汾酒、大麯酒、西鳳酒、そうだ、紹興酒をわすれちゃあたいへんだ。これで五大名酒だネ。それから、と、あと何だッけな?」「五糧液に、竹葉青……」「殘りの一つは五加皮だろう」
Author: 西園寺公一 Year 1962 Issue 11 PDF HTML