Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:王 浩=文·写真] Total 956 Search Results,Processed in 0.118 second(s)
-
11. アフリカ民族独立運動のあたらしい高まり
今年の春いらい、アフリカ大陸の民族独立運動は怒濤のようないきおいで前進をつづけている。この運動はいまや帝国主義の埴民地支配の最後の基地を大きくゆりうごかし、帝国主義の植民地制度の最後的崩壞をはやめつつある。アフリカ全土に闘いのノロシこの闘いのトツプを切つたのは、ベルギーの植民地支配者が「安定せる綠地帶」とほこりつづけてきたアフリカ中部のコンゴだつた。今年の一月四日から、全コンゴには植民地支配にたい
Author: 王珍 Year 1959 Issue 6 PDF HTML
-
12. 中国国営農場の建設
中国の国営農場は社会主義の全人民的所有制の経済の一部をなし、農業戦線の重要な力である。国営農場は先進的な技術装備を擁し、手仕事による生産はほぼ現代的な機械による大規模生産にかわつている。その生産水準はわりあいに高く、国家に商品としての農産品や畜産品を大量に提供する力をもつている。つとに毛沢東(マオツオートン)同志は、「農業協同化の問題について」のなかで、年々増加する商品食糧と工業用原料の需要と、収
Author: 王震 Year 1961 Issue 11 PDF HTML
-
13. 「黄河氾濫区」の変ぼう
ある初秋の朝のことだ。わたしと数人の農学者をのせた車は、河南(ホーナン)省の漯西(ローシー)自動車道路を疾駆していた。窓外をながめると、緑一色の畑ははてしなくつづいて、まるで海原のようである。このぶんなら、ことしの豊作はまちがいあるまい。やがて西華(シーホワ)県の西夏亭(シーシヤテイン)村にさしかかると、道路の両側に目もはるかな防風林があらわれ、緑のあいまに赤い屋根の建物が見えかくれする。しだいに
Author: 王坦 Year 1961 Issue 12 PDF HTML
-
14. 法家思想の集大成者 韓非
韓非(約紀元前二八〇-前二三三年)は戦国時代末期の韓(いまの山東省東南部および河南省中部)の人、貴族の出であり、李斯とおなじく荀況の弟子であった。当時の階級闘争を推進力として、かれは法家の学説をうけつぎ、それを発展させて、統一した、中央集権にもとづく地主階級独裁の国家のために理論的な基礎をきずき、秦代以前の法家思想を集大成した。その著『韓非子』五十五編の中で、もっとも代表的なものには「五蠹」「孤憤
Author: 王成 Year 1975 Issue 1 PDF HTML
-
15. 王充
王充(二七~九七年)は、東漢(二五~二二〇年)前期の、唯物論に立脚するすぐれた思想家である。王充は、農業と商業をいとなむ平民の家に生まれた。かれは、世襲の豪族·地主からは抑圧されたが、勤労者とはある程度の交わりをもっていた。農民蜂起が広がるなかでかれは、当時支配的地位にあった儒学の欺瞞性と反動性を知った。かれは、反動的な儒学とうまずたゆまずたたかい、多くの本を著わした。いまにつたわるものとしては『
Author: 王成 Year 1975 Issue 4 PDF HTML
-
16. 植物学者蔡希陶氏
雲南省熱帯植物研究所所長の蔡希陶さんは、中国でも指折りの植物学者である。かれはシーサンパンナに定住し、いくたの困難をのりこえ、まったく何もない状態から出発して、りっぱな研究所を作り上げ、豊かな熱帯植物の宝庫を切り開くために大きな貢献をしてきた。蔡さんは若い時から大自然を愛し、未来に大きな希望をいだいてきた。かれが二十歳の時に書いた『蒲公英(たんぽぽ)』という短編小説は、魯迅からほめられた。しかし、
Author: 王普 Year 1978 Issue 11 PDF HTML
-
17. 私は三人の子供の母
自分の子供がすこやかに育ち、社会に役だつ人間になるのを願うのは世の親の常です。しかし子供を立派に育てるには親のそれ相応の努力が必要です。もちろん、これは子を持つ親にとっては当然の務めなのですが……わたしと夫は同じ工場で働いています。もともと二人とも電気工でしたが、そのご夫は工場の幹部にえらばれ、労働者だった頃よりいそがしくなりました。こうして、子供たちの教育については、わたしがいろいろ考えることが
Author: 王訓 Year 1979 Issue 7 PDF HTML
-
18. 成都·峨嵋山に遊んで
ことし五月、『人民中国』雑誌社もふくめて外文出版発行事業局につとめている外国の方がたの約半月の旅行があった。コースは成都―峨媚山―重慶―三峡―武漢である。「天府の国」、つまり自然にめぐまれた国といわれる四川省は、地理的、歴史的に魅力のある所だ。今年の旅行コースは、四つあったが、本誌で働いておられる日本の方三人も含めて、ほとんどの人がこのコースを選んだ。私たち一行は、外国の方一四人、通訳と世話係り九
Author: 王津 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
-
19. 山奥の先生になって20年
ある晩、私は、北京郊外の高崖口中学に林瑞栄先生を訪ねた。懐中電燈を片手に、学校わきの坂道を登っていくと、あたりは一面の闇で、ただ坂の上の一軒の家だけが、窓にあかりがかがやいている。「ほら、あれが林先生の家ですよ。さいきん建ったばかりなんです」道案内の人が指さして教えてくれた。その家には華僑が住んでいる。彼がこのへんぴな山村に住みついて、すでに二十余年になるのだが、どうしてこの山村に住む決心をし、そ
Author: 王武 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
-
20. 中国の石油
史籍に見る石油中国は、世界で最も早く石油を発見利用した国の一つである。石油についての記録は千八百年以上前からあり、専門に石油を採取するための油井の開さくは、四百年以上前から始まっている。現在も有名な陝西省北部の油田は、中国で最も早く発見されたもので、後漢の班固が書いた『漢書』の地理誌に「高奴県に洧水あり、肥にして燃やすべし」という記載がある。高奴県とは今の延安のあたりで、洧水とは延河の支流の名であ
Author: 王氷 Year 1983 Issue 8 PDF HTML