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Your search : [ author:楊珍 林曄] Total 40 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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11. 殷·婦好墓玉竜
中国人は、神話の竜と、自然界の虎を、並べて「竜虎」と考える。竜は爬虫類の王、虎は百獣の王だ。竜は神秘で、虎は勇ましい。古来、雲は竜に従い風は虎に従うといわれ、竜虎が出没する時には、風と雲が巻き起こって威風を添え、竜虎がうそぶけば、山河は色を失い、生き物はおののくとされている。古人は竜虎を力の象徴と見なしていた。『三国志』は、諸葛亮の雄才大略を「竜驤虎視(りゆうじようこし)」と称えているし、『史記』
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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12. 「敦煌」上映を前に 冠鴻烈さんを訪ねて(中国側 美術監督)
構想に十五年、準備に五年、中日両国映画人の“夢”だった『敦煌』の映画化が、ついに実現した。炎熱のゴビ砂漠に大ロケーションを敢行。敦煌県内には総面積二万五千六百平方メートルの古代敦煌城まで建設された。『敦煌』の時代は宋代。シルクロードの大ロマンは、中日双方の美術関係者の力強いスクラムがあって、はじめてその実現をみたのである。「ちょうどいい時に取材に見えましたね。たった今、日本から『敦煌(とんこう)』
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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13. 三星他拉玉猪竜
竜と豚。前者は神霊であり、雷電、雲火のごとく天を飛び回り、大波を巻き起こして海を疾駆し、その姿は雄偉で壮麗。一方、後者は俗物で、地上でえさを取り、泥の中に寝ることしか知らず、体つきは愚鈍だ。両者は天と地ほど隔たるので、同日の論ではない。だが、遼河流域で出土した紅山文化時期の竜形の玉と獣形の玉は、竜と豚にまつわる面白い話題を提供することとなった。これらの玉器の中で最も注目されるのが、玉竜(玉彫りの竜
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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14. 清·牙彫群仙祝寿竜舟
今月号は象牙の彫刻「群仙祝寿竜舟」、清代の名品である。北京故宮博物院蔵。長さ九一·五センチ、高さ五九センチ、幅二三·五センチ。舳先(へさき)は高くもたげた竜頭、艫(とも)はそりかえる竜尾。船首や楼上に立つ仙人百態、両舷に八人ずつ並ぶ舟漕ぎの名手。一糸乱れぬ櫓の動き、風にはためく竜旗。波間を突き進む竜舟を彷彿させ、櫓を動かす漕ぎ手たちの掛け声が聞こえてくるようだ。これは皇帝への献上品である。豪華なも
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 6 PDF HTML
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15. 漢·南越王金印竜と皇帝の権力
一七八四年に福岡で「漢倭奴国王金印」が発見されたが、二百年後の一九八三年、「南越王金印」が福岡の姉妹都市広州で出土した。この金印は南越国第二代国王趙昧の璽印(じいん)である。今から約二千百年前のもの。方形で一辺が三·三センチ、高さ一·八センチ、重さ一四八·五グラム。「田」の字の格子が印面に陰刻され、「文帝行璽」の四文字が篆書で彫られている。大きな璽体は荘重で華麗でもある。つまみの鈕(ちゆう)が目を
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 7 PDF HTML
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16. 扇子
今は夏の盛り、扇子を手離せない季節です。扇子には、竹でつくったもの、羽でつくったもの、絹張りのもの、折り畳みのものなど、さまざまな形のものがあります。古くは、あおいで涼をとるのに使っただけでなく、貴族の儀仗にも使われました。のちに、名士雅人は扇面に詩を詠み絵を描き、それを芸術品として所蔵するようになりました。芸術画扇には一、二メートルほどの大きなものもあります。また、昔は、若い男女がよく小さな扇子
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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17. 商·竜紋銅觥竜と鰐の関係
清代の文豪蒲松齢が書いた短編集『聊斎志異』の中に、「西湖主」と題した美しい物語がある。書生の陳弼教は洞庭湖で猪婆竜の命を助けた。のち、風で船が転覆して水中に投げ出された陳生は、知らぬうちに竜宮へとたどり着く。西湖主の園亭に迷い込んだのが幸い、公主と良縁を結ぶことになる。公主の母は洞庭竜君の王妃、揚子江竜王の娘であり、猪婆竜に変身して災難に遭った時の恩に報いるため公主を嫁がせたことを、あとになって陳
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 8 PDF HTML
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18. 唐·盤竜紋鏡
小説『三国演義』を読んだ人なら多分、曹操の手足(しゆそく)である勇将夏侯惇を憶えているだろう。戦(いくさ)で左目に矢が当り「すぐ矢を抜き出し目玉を食べてしまった」という人物だ。この無鉄砲ともいえる勇猛な行動は、読者に強い印象を残したに違いない。のち、軍中で「盲夏侯」と呼ばれるようになるが、本人はこのあだなが大嫌いで、つねに鏡を見ては怒りがつのり、最後には鏡を地面に投げつけてしまう。幸い、三国時代は
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 9 PDF HTML
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19. 園林都市をめざして 北京の環境整備
「祖国に青い空を」「君たち若者には志や抱負を持ってもらいたい。黄煙をなくし、祖国に青空を取り戻そうじゃないか」七〇年初期、当時まだ健在の周恩来総理は外国要人を伴って北京石油化学工場を視察、触媒剤の生産現場から噴き出る黄煙を見て労働者にこう語っている。スモッグが太陽をおおい隠し、河川は臭気ぷんぷん、路上は騒音の渦、加えて春の吹き荒れる黄砂、これが当時の北京だった。鳥のさえずりが聞こえ、花の香りがあた
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 10 PDF HTML
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20. 竜と鳳
劉備が東の呉に赴いて妻を娶るという『三国志演義』の中の一節が京劇で舞台化されているが、その題名は「竜鳳呈祥」。竜は劉備、鳳は孫権の妹孫尚香のことだが、旧時、皇帝の成婚は天下の慶事であったので「祥を呈す」と呼ばれたのである。竜は男、鳳は女だが、竜鳳自身雌雄の別があると人々は考えていた。『周礼·司常』に「交竜旗と為る」とあるが、交竜はつるむ竜のこと。雌雄なくしてつるむことはむろんできない。『左伝』には
Author: 楊珍 Year 1988 Issue 10 PDF HTML