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Your search : [ author:本誌·何 平] Total 397 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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11. 北海公園の二つの法帖
故宮、天壇、北海、景山、願和園などの名所古跡では、建造物のほかに、精妙な構成と優雅な趣をたたえた園林が大きな魅力となっている。それらは多くの名匠たちの探求と創造の結晶であり、中国の伝統文化の象徴でもある。国内の他の園林と比べると、北京のそれは広く、堂々として、さすがに宮廷園林という風格がある。その代表的な頤和園や北海は造園が実に壮大で華やかだ。これに対して、南方の園林には巧妙な設計と繊細な味わいが
Author: 本誌·何平 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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12. 山西省運城地区の碑刻
運城地区は山西省の南西部、黄河の東岸にあり、陜西省、河南省に接している。管轄下に十三の県(市)があり、面積は約一万四千平方キロ。春秋時代は晋に、戦国時代は魏に属し、秦代に河東郡となったので、「河東」とも呼ばれている。美しい伝説と確かな史料が溶け合ったこの地方は、中華文明の発祥地の一つでもある。黄帝と蚩尤(しゆう)(伝説上の部族の首領)の戦い、螺祖の養蚕、禹の竜門開削などの神話伝説があり、戦国時代の
Author: 本誌·何平 Year 1998 Issue 6 PDF HTML
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13. 竜門石窟の造像題記と碑刻
仏教が中国に伝来し、僧侶と信者が仏を礼拝する場所として、寺院が山の斜面に建立されるようになった。中国の石窟開削は三世紀から始まり、五世紀から八世紀にかけて盛んに行われたが、清代に至ってもなお続けられた。石窟のほとんどは、交通不便で人跡まれな場所が選ばれたので、その開削も困難を極めた。無数の芸術家や職人が酷暑酷寒に耐え、あらゆる障害と戦いながら固い岩盤に洞穴をうがち、単なる石の塊を精美な仏像に刻して
Author: 本誌·何平 Year 1998 Issue 8 PDF HTML
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14. 洛陽の関林碑刻
洛陽市から竜門石窟行きのバスに乗って南へ八キロの関林鎮の北に、関林がある。紅い壁、緑の瓦に樹木のよく茂ったこの廟は、古風で荘厳な雰囲気にあふれ、俗に関帝塚と呼ばれて内外の観光客を引き付けている。関林は、三国時代の蜀の大将関羽の首を葬ったところだと伝えられている。後漢の建安二十四年(二一九)、荊州を守っていた関羽は呉の奇襲に敗れて麦城に走ったが、湖北省の当陽で捕えられ孫権に殺された。孫権は劉備の復讐
Author: 本誌·何平 Year 1998 Issue 10 PDF HTML
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15. 白馬寺の碑刻と王鐸の書
世界三大宗教の一つに数えられる仏教は、二千年前の前漢時代にインドから中国に伝わり、中国内地で最初の寺院が洛陽に建立された。白馬寺である。洛陽市の東十二キロに位置し、北に邙山(ばうざん)を望み、南は洛水に面している。青い瓦と紅い壁の殿閣や塔が緑の木立の間からそびえ、見るからに荘厳な感じを受ける。門の前にたつ二頭の馬の石像は宋代の作品。頭を下げ、目を伏せた静かな表情に、経典を負って長い旅を続けて来た辛
Author: 本誌·何平 Year 1998 Issue 11 PDF HTML
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16. 中岳廟と嵩陽書院
中国の伝統的宗教の一つである道教は、老子を始祖と仰ぐ。老子は春秋時代の人で、周の史官を務め、洛陽に長く住んでいた。孔子もはるばる洛陽を訪れ、老子に教えを乞うたことがある。今の洛陽市東関大街の文廟の前にある「孔子入周問礼碑」は、清の雍正年間(一七二三~一七三五)河南府知事·張漢書と洛陽県知事·郭朝鼎によって建てられた。洛陽一帯には多くの道教寺院があり、中でも邙山の上清宮、下清宮、呂祖庵、登封市の中岳
Author: 本誌·何平 Year 1999 Issue 2 PDF HTML
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17. 江南随一を誇る焦山碑林
南京から長江を下ること約六十キロ、京杭(北京~杭州)大運河と交わるところに、三方を山に囲まれた都市、鎮江がある。春秋時代に越と死闘を繰り広げた呉の都となって以来二千五百年余、その間に朱方、谷陽、京口、延陵、潤州などと地名はさまざまに変わったが、水陸交通の要衝とあって、常に大きな軍事的意義を持ち続けてきた。鎮江はしかし、美しい風光にも恵まれ、「天下第一の江山」として、内外の観光客はもちろん、歴史、地
Author: 本誌·何平 Year 1999 Issue 3 PDF HTML
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18. 徐霞客ゆかりの晴山堂石刻
上海から長江を約百六十キロさかのぼったところに位置する江陰市は、古い歴史を持つ美しい都市だ。遠く五千年前の新石器時代に先住民が漁猟をいとなみ、稲作も始めていた。長江から東中国海に出る門戸の位置に当たっているので、唐代には長江下流における日本、朝鮮、東南アジアとの重要な貿易港となっていた。数々の人材を輩出した江南平原でも、江陰市は独自の地位を誇っている。その一人が、明代末期の地理学者で探険旅行家で紀
Author: 本誌·何平 Year 1999 Issue 5 PDF HTML
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19. 四大宋碑の蘇州碑刻博物館
江蘇省の南部、太湖の東北にある蘇州は、浙江省の省都·杭州と並んで、「上に天堂(天国)有れば、下に蘇杭有り」と昔からたたえられてきた。おだやかな気候と、「魚と米の里」と呼ばれるほど豊かな物産に恵まれ、歴史の上でも優れた人材を輩出し、江南と言えばまずこの蘇杭二つの都市を思い浮かべる。杭州の見どころが自然の風景であるのに対し、蘇州の最大の見どころは人工の庭園だ。宋から清に至るそれぞれの時代の建築様式と芸
Author: 本誌·何平 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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20. 「楓橋夜泊」の寒山寺
「定夜鐘」のしきたり蘇州で観光地と言えば、やはり寒山寺が一番有名だ。蘇州市の西五キロの楓橋鎮にあり、江南運河がそのそばを流れる。寒山寺は南朝·梁の天監年間(五〇二~五一九)に建立され、すでに千五百年に近い歴史がある。境内はさほど広くなく、寺の建築様式も素朴で飾り気がない。正式には妙利普明塔院といい、楓橋寺、普明禅院の別名を持っているが、唐の貞観年間(六二七~六四九)、天台山国清寺の二人の高僧、寒山
Author: 本誌·何平 Year 1999 Issue 7 PDF HTML