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Your search : [ author:文·盧新来 鍾煒 写真·楊型芳] Total 63 Search Results,Processed in 0.119 second(s)
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11. 海蜇(くらげ)の舟山群島
わたしの郷里は湖南省の山のほうなので、村の人たちも「山の幸」についてはなんでも知っているが、ただ、「海の幸」となるとそうはいかない。まだほんの子どもの頃だったと思う。ある親戚の結婚式に出たことがあり、その宴席でよその人ならよく食べる涼拌海蜇皮(リヤンバンハイチヨピ)(クラゲの和えもの)という小料理をはじめて口にした。コリコリする歯ざわりなので、わたしはその味をかみしめながら、いったいなんだろうと考
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 5 PDF HTML
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12. 真珠の合浦
広西チワン族自治区の合浦(ホープー)県は、有名な真珠の産地である。三月に入ると風もなごみ、ようやく春のおとずれを感じる。万物は生気に満ちるが、真珠もまたこの季節に育つ。私は、思い立って、この海外にも名の知れた真珠の里を訪ねることにした。合浦県は同自治区南部の臨海地区にあり、自治区政府のある南寧市からバスで二二七キロのところである。亜熱帯特有の風景北京からきた者には、ここは別天地の感がある。三月初旬
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 6 PDF HTML
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13. 羅漢果の永福
羅漢果(らかんか)といえば、広西チワン族自治区の特産品として国内はもちろん海外でも有名だが、また国際市場では、昔から、中国独特の輸出品のひとつである。貴重な漢方薬のひとつだが、高級清涼飲料、調味料ともなる。他にみられぬ薬効があるし、すばらしい香味をもつため、愛用する向きも少なくない。地元のひとはいうにおよばず、桂林を遊覧する旅客たちも、買って帰って、保健用に飲んだり贈り物にしたりすることがしばしば
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 10 PDF HTML
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14. 甲(すっぽん)魚の紅安
「湖北へいったらスッポンだけは食べてくるように」これは昔からよく耳にすることばである。中国人はずいぶん昔からスッポンを食ってきた。ある歴史文書にもこんな記載がある。九百余年前、宋の仁宗が江陵(荊州)を巡視したとき、「冬瓜鱉裙羮」(トウガン入りのスッポンスープ)という料理を賞味したというのである。この料理はよく肥えた雄のスッポンをえらび、油でいため、含め煮、白煮をしたあと、水またはスープをさし、やわ
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 12 PDF HTML
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15. 蜂蜜の麻城
蜂蜜は、人びとに愛用されている。それは滋養に富むし、病気にも効き目がある。蜜蜂が蜜な採るときには、同時に花粉を媒介するので、蜂蜜が多くとれた年は、果物類が豊作であることを表わしている。だから、話題が蜜蜂のことになると、みなにこにこするわけである。中国の養蜂の歴史は長い。蜜の源となる植物も豊富多彩である。南は海南島から北は黒竜江まで、東は台湾から西は新疆まで、蜜蜂の足跡の及ばぬ所はない。俗語にも「蚕
Author: 鍾煒 Year 1983 Issue 2 PDF HTML
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16. 蓮実の湘潭
中国明代のすぐれた本草学者·李時珍は、その著『本草綱目』のなかで、蓮(はす)の実を評価して次のように書いている。「蓮は泥中に産するも泥に汚れず、水中に居るも水に没せず。茎、根、花、実、凡(なみ)の品と同じからず。清浄にして広く用い、群美を兼ぬ。蓮実は滋養の佳品にして、久しく食すれば、身心を強壮にし、長寿にも効あり……」歴代の多くの文人や学者も、詩を詠じ、文章をものして、蓮をほめたたえている。「天に
Author: 鍾煒 Year 1983 Issue 3 PDF HTML
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17. 松花蛋(ピータン)の益陽
松花蛋(ソンホワダン)は、皮蛋(ビーダン)とも変蛋(ビエンダン)とも呼ばれている。卵白の部分に松葉状の模様があるため、“松花(ホワ)”という名がつけられた。中国の有名な特産食品で、伝統的な輸出商品の一つである。栄養豊富で、独特の風味を持ち、中華料理の宴席では、酒の肴(さかな)に、また口直しの菜(さい)に、欠かせない。国内だけでなく、国際市場でも消費者からよろこばれている。中国で松花蛋がつくられるよ
Author: 鍾煒 Year 1983 Issue 4 PDF HTML
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18. エレクトーンからワープロまで
昨年十一月、建国後はじめての全国新製品展覧会が、首都·北京で開かれた。国家経済委員会の主催になるこの展覧会には、ここ三年来の中国の各工業分野における選り抜きの新製品が展示されたが、中国の新製品開発の水準と状況を知り、七九年以来の中国の経済活動を点検するうえで、時宜にかなった催しだったといえよう。一九七九年、中国は工業·交通部門で一連の改革を行なった。「新製品の開発に力を入れ、技術の進歩をおしすすめ
Author: 鍾煒 Year 1984 Issue 2 PDF HTML
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19. すばらしき女教師胡紅星
わたしの友人のこどもが、故宮近くの一六一中学校で勉強している。わたしが、学校の様子をたずねるたびに、彼女はきまって、自分たちのクラス担任の胡紅星先生をじまんする。「あのネ、わたしたちの胡先生は、とてもすばらしいわ。なんでも、それはそれはよく考えてくれて、まるでお母さんが、子どもの世話をするようなの」「授業がまたすてきよ。ちょうど、お話しを聞いているようで、とても面白いわ」……彼女のこんな話を聞いて
Author: 鍾煒 Year 1985 Issue 12 PDF HTML
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20. 四川·自貢市塩業歴史博物館
塩と言えば、汲めども尽きぬ海水からとった塩を思い浮かべる人が多いであろう。が、実は海の塩のほかにも、塩湖や塩井からとった塩がある。その色もみな真っ白いわけではなく、赤、黒、紫などさまざま。まさに大家族なのである。四川省自貢市にある塩業歴史博物館は、古代の塩井遺跡や塩業の歴史的な文物を展示する専門博物館である。塩井開削 二千年塩業歴史博物館は自貢市の繁華街にある。華麗な古式建築で、朱塗りの正門の上に
Author: 鍾煒 Year 1987 Issue 3 PDF HTML