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Your search : [ author:文·盧新来 鍾煒 写真·楊型芳] Total 63 Search Results,Processed in 0.132 second(s)
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1. 済源市の豊かな観光資源(上)
済源市は河南省の西北部、洛陽·竜門石窟の北約三十キロの位置にある。市街の南には黄河が流れ、東には華北平原が広がっている。古い歴史を持つこの町は偉人や文人ゆかりの遺跡のほか、各種の伝説や神話も多く、中国文明の揺りかごとも呼ばれている。
Author: 文·盧新来 鍾煒 写真·楊型芳 Year 2001 Issue 5 PDF HTML
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2. 済源市の豊かな観光資源(下)
済源市の市内から一五キロ離れた五竜口風景区は、濃淡の調和がとれた水墨画を思わせる風景が延々と五キロ以上続いていて、見る人をうっとりさせる。中国山水画の北方画派の基礎を築いた晩唐の画家、荊浩がこの地に隠棲して作品を描いており、彼の名作『匡廬図』はこの辺りの自然をモチーフにしていると伝えられる。五竜口の幽谷に位置する「荊廬荊浩絵画館」がこのほど化粧直しをした。荊浩の作品をはじめ貴重な書画コレクションが
Author: 文·盧新来 鍾煒 写真·楊型芳 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
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3. 科学研究に生涯をささげる人
北京市の西郊外にある中国科学院動物研究所の細胞研究室で、一人の老科学者が特殊な科学実験をおこなっている。黒色の立体顕微鏡の前に座り、鋭利なピンセットで金魚の受精卵細胞をはさみ、細胞膜をはがす。つぎに、あらかじめフナの卵細胞質から抽出したメッセンジャーリボ核酸(m-RNA)を刺繡針よりも細い注射針を使って金魚の受精卵に注入する。きわめて器用に、すばやく作業がすすめられていく。この老科学者が、中国の有
Author: 鍾煒 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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4. 期待のスポーツ種目をみる
上昇気流に乗ったバレーボール界昨秋、日本でおこなわれた第二回ワールドカップ·バレーボール大会で、中国女子バレーボール·チームは、アメリカ、ハンガリー、キューバなどの強豪をつぎつぎとなぎ倒し、世界各地の十数チームとの勝負の末、第四位に入賞した。中国女子バレーボール·チームのこのめざましい善戦ぶりは、日本のバレーボール界の注目の的となった。国際バレーボール連盟副会長である前田豊日本バレーボール協会副会
Author: 鍾煒 Year 1978 Issue 11 PDF HTML
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5. 天安門広場のスナップ写真屋さん
日に二万人以上も建国三十周年を迎え、北京の中心、天安門広場には例年にも増して訪れる人が多い。広場にズラリと並ぶ十数軒のスナップ写真屋さんも押すな押すなのにぎわいである。子どもつれの夫婦、赤い襟章をつけだ解放軍兵士、バッグをもった旅行客、はなやかで独特の衣装をまとった少数民族の娘さん……。天安門をバックにちょっとすましてパチリ。順番を待っている人も多く、さんざめく声につつまれて写真屋さんは大忙しであ
Author: (鍾煒) Year 1979 Issue 10 PDF HTML
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6. 庶民の宿 北京崇文門第二旅館
北京市内の繁華街や胡同(フートン)(横町)を歩いていると、「某々旅館」という大文字のネオンや看板をよく見かける。これらの旅館には、伝統的な「四合院(スーホーユアン)」(中庭を囲んで四つの棟からなる建築様式)式のものや、二、三階建て、あるいはここ数年めだつようになった防空用の地下室を改造したものなどがある。これらの旅館には、一〇〇〇余人収容の大旅館から、ベッド数数十の小旅館まで、さまざまである。これ
Author: (鍾煒) Year 1981 Issue 7 PDF HTML
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7. 烏竜(ウーロン)茶の安溪
中国の南部、福建省の安渓県といえば、鳥竜(ウーロン)茶の産地として名高い。とくに、その「鉄観音」(テイエクワンイン)は烏竜茶の極上銘柄として、内外で有名である。今回は、読者を有名な茶の産地―安渓に案内しようと思う。天下の銘茶海にのぞむ、古い町、泉州市から自動車で西に一時間ほどゆくと、安渓県の県境に入る。ここは茶所だから見わたすかぎり緑なす茶畑だろうと私は思っていたのだが、沿道に見える丘も平地も、た
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
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8. 紹興酒の紹興
浙江省紹興には、むかし、こんな風習があった。一家に女の子が生まれると、満一ヵ月目に、両親は酒のかめをいくつか用意する。かめには、飾り模様を彫る職人にたのんで、極彩色の絵をほどこしてもらう。それから酒をつめて密封し、穴ぐらか、竹林のしげる場所に埋めこむ。やがて娘が成長してお嫁にゆくときになると、この酒をとりだして花轎(かご)のうしろにおき、新郎の家に持参する。この長年貯蔵した酒でお客をもてなし、それ
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 2 PDF HTML
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9. 蟹の陽澄湖
今でこそ蟹(かに)に舌つづみを打つ人は多いが、最初にこれを食った人は、たいへん勇気のあった人物にちがいない。この世でただ一人横に這い、全身を甲(よろい)と戈(ほこ)で完全武装したこの動物は、当代きっての国画家、すでに物故された斉白石翁の解放前の作品にも顔を出すが、翁はその一幅に、皮肉たっぷりに、「はてさて、いつまで横行っているのやら」といった意味の題字をつけている。それはともかく、鉄とも石とも見え
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 3 PDF HTML
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10. 甘栗の遷西
西太后と栗窩頭清の光緒二十六年(一九〇〇年)八ヵ国連合軍が北京に攻め入ると、時の権力者、西太后はあたふたと西安まで逃げのびるが、道中腹をすかし料理人に、何か食するものはないか、と下問した。老仏爺(ほとけさま。西太后は召使たちに自分のことをこう呼ばせた)は、平生、毎回の食事に百何十種類の料理をそろえさせる。だが、この戦乱のどさくさの時に、そんな食事を差し上げることなどできたものではない―考えあぐねた
Author: 鍾煒 Year 1982 Issue 4 PDF HTML