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Your search : [ author:文·写真 狄華] Total 794 Search Results,Processed in 0.091 second(s)
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11. 天津南市食品街
天津に行ったときはぜひ寄って欲しいのが、ここに紹介する南市食品街だ。一九八五年、天津駅から西へ約一キロの南市地区にできた、面積四〇〇〇〇平方メートルの大フードセンター。大小さまざまの規模とさまざまの特色をもった料理店が八十三店あり、そのほかに娯楽ホールも八店ある。中国の八大料理―四川、山東、広東、湖南、蘇州、浙江、福建、安徽の名品はもちろん、天津、北京、山西の伝統的な小吃(シャオチー、一品料理)約
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
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12. 洛陽のスープ料理
ふつう中国人は、人と会ったとき「あなたはもう飯を食べましたか?」とあいさつするが、洛陽では「あなたはもう飲みましたか」とあいさつする。「それほど私たちは、スープが好きなんですよ」と彼らは言う。洛陽の漢代古墓群博物館には、宴会でスープを供している壁画がある。スープへの彼らのこだわりは大昔からのものであることが、よくわかる。それは多分、この土地が内陸部にあって気候が乾燥しているからだろう。彼らは好きき
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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13. 広州の早茶
北京では「早点」と言っている朝食のことを、広州の人びとは「早茶」と呼ぶ。広州人はこの早茶を大切にしていると聞いていたので、私は広州に着いた翌日の朝、さっそく賞味してみることにした。私が入ったのは「富豪酒家」という店だった。正直のところいささか気後れしたが、『人民中国』に書くのだから、いいかげんな店では申し訳ない。内部のしつらえは確かにりっぱなものだった。早い人は6時ごろから来ているという。明らかに
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
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14. アイデア料理「梅花石榴球」
北京の崇文門内大街七十六号に「金朗大酒店」がある。ゴージャスな構え、行き届いた設備、美しい環境に恵まれたホテルである。北京駅に近く、首都空港からも車で三十分、交通の便も良い。しかし、このホテルの一番の魅力は、レストランのうまい料理だ。広東料理を主に、西洋料理や朝鮮式の燒き肉料理も出す。料理長の鄧綿明さんはことし四十八歳。三十年前に広東省で一流のコックについて料理を習ってから、今日までこの道一筋。一
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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15. 「賽竜奪錦」と「清宮秘製水魚」
このごろ、北京のグルメたちの間で「山に登り、海に出る。城(まち)へ行き、阿静(マダム·チン)を訪れる」という合い言葉がはやっている。北京山釜(シャンフ)酒家のバーベキューをほお張り、明珠(ミンチュ)酒楼で海鮮料理に舌鼓を打つ。香港美食城(メイシチャン)で軽食を楽しみ、新阿静(アチン)酒楼でモダン広東料理を賞味しなくては―という訳だ。阿静というのはこの店の女主人で、なかなかの広州美人。七年前に北京で
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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16. 新派宮廷料理―「魚蔵剣」
北京の村外村(ツンワイツン)大酒楼の料理長韓健勇(ハンチェンョン)さんは、本誌のために新派宮廷料理「魚蔵剣(ユーツアンチェン)」を作ってくれた。まずこの料理にまつわる昔話を紹介しよう。春秋戦国時代、呉の王子姫光(きこう)は亡き父の跡を襲い王座に納まった叔父姫僚(きりょう)を殺し、王位を奪い返えそうと企てた。宮廷の警備は厳重なので、剌客が入り込むすきがない。そこである日、僚が太湖に船を浮べ、臣下を招
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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17. イ族の黄色い傘
四川省の西南に凉山(リヤンシヤン)イ(彝)族自治州がある。面積六三五平方キロ、百六十五万人のイ族が住んでいる。解放まで千年余りこの地に続いた奴隷制社会は有名である。高い峰々と川の交錯する複雑な地形をしており、山の頂きとふもとでは気候が違い、五キロも離れた所では天気がガラリと変わる。普格(プーコ)、布拖(ブートウオ)、昭覚(チャオチユエ)、美姑(メイクー)、喜徳(シート)の各県では六月から十月までが
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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18. 国際大賞を受けた「富貴魚鑲面」
「京醤茄子挟餅」「富貴魚鑲面」北京なす。この料理には豚のひき肉も使う。中国料理は山東、江蘇、四川、広東の四大料理のほか、北京、上海、広東省の潮州·汕頭(スワトウ)など各地に固有の料理が発達して競い合い、今では八、十、十二、十五の系統に分ける人も出てきた。上海料理にも錦江(チンチアン)、莫家(モーチア)、梅家(メイチア)の三派があり、ここで紹介するのは梅家料理である。梅家料理は、一九三八年に開いた上
Author: 文·写真 狄華 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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19. 年に一度の夢の生活
北京での生活が長くなり、片のにぎやかだった春節(旧正月)への印象は、だんだんぼんやりとしたものになってしまっていた。昨年、私は福建省南部(別称·閩南)で、久しぶりにイベント盛りだくさんの春節を過ごした。閩南の民間には、昔から、「冬至はあらゆることが好転し、万物が息を吹き返す」という、言い伝えがある。「冬至の大掃除」という言薬もあるように、この日から、一家あげて庭を清め、寝具をばらして叩きなおし、新
Author: 文 写真·狄 華 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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20. 「辣椒蒜茸清蒸蝦」
北京ではこのところ海鮮料理がはやっている。「何々漁村」といった名前の海鮮料理を食べさせる料亭やレストランが次々と店開きする。最近海淀区復興路(ハイティエンチュフーシンルー)にオープンした「大地美食娯楽城(ターティーメイシーユーローチャン)」―通称美食城も、「漁村」の名はついていないが、その一つである。美食城の料理長李富海(リフーハイ)さんは香港銅鑼((トンルオ))湾の漁船の上で育った。銅鑼湾は漁船
Author: 文·写真 狄華 沈永淳 Year 1996 Issue 6 PDF HTML