Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:文·丘桓興カメラ·魯忠民] Total 25 Search Results,Processed in 0.086 second(s)
-
11. 斉魯の遺風 山東篇(上)
使い古された一輪車昨年の中秋節のころ、わたしは北京から東南へ七〇〇キロ下って、山東省の沂水県をおとずれた。ここは沂蒙山の山腹に位置し、二千年前の戦国時代は魯国に属していた。今日でも北沂山の穆陵関には、黄土、砂、石灰の版築を用いた古代の長城跡が残っている。この数百キロもつづく長城は北側の斉国が築いたもので、当時は斉国と魯国との境界線であった。そのため、後世、山東省を「斉魯の邦(くに)」とよぶようにな
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 2 PDF HTML
-
12. 漁村の詩情 山東篇(下)
海草で葺いた屋根高波が漁港の防波堤にくだけて、まっ白なしぶきをあげている。港内は、風を避けて停泊中の漁船のマストが林立し、色とりどりの三角の小旗がマストのてっぺんではためいている。……ここは栄城県大魚島にある筏子圏(フアヅーチワン)という漁港だ。岩山を背に黄海にのぞみ、山東半島南端の一角にあって、中国北方の有名な漁港石島から二キロしか離れていない。二千年前、“泱泱(おうおう)たる大国”と称された斉
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
-
14. 魚のシャブシャブ 四川篇(中)
風変りな魚釣りと魚の“シャブシャブ”自動車で、成都の西南一八〇キロの洪雅県炳霊郷にむかう。仏教の聖地、峨眉山の北麓にあたる山岳地帯だ。曲りくねっている、山間の自動車道路をゆっくりと進んでいく。雲海に浮かぶ深緑の山峰、枝葉の茂る竹林、勢いよく流れる渓流、峡谷に掛る吊橋などが、目にうつる……もうすぐ炳霊郷というところで、窓こしに、まるで弓のようになって、川のなかに垂れさがっている竹竿が見えてきた。「あ
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 6 PDF HTML
-
15. 滑竿、懸棺葬、その他 四川篇(下)
駕籠の一種―滑竿(ホワガン)長距離バスの発車する寸前、六十歳ぐらいの瘦身の男が八十歳あまりの老婦人を背負って、あわただしくやってきた。人びとに助けられて、ふたりは、やっとのことでバスにのった。老婦人の目は見えない。両足も硬直している。なおる見込みはなさそうだ。ところが、息子である瘦身の男はさじを投げない。母を背負って、町の病院に行ってきたという。途中のバス停で、母はトイレに行きたいと訴えた。男は、
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 7 PDF HTML
-
16. 魯迅の故郷風土と人情 浙江篇(上)
「千里鶯(うぐいす)啼きて緑紅に(みどりくれない)映ず、水村山郭酒(すいそんさんかくしゆき)旗の風」(唐の杜牧·『江南春』)とうたわれた陽春三月、わたしは浙江省紹興県柯橋鎮(まち)を訪れた。早朝、宿の一室から、水郷一帯の風光を見わたす。碁盤の目のように区切られた田畑、青々とした小麦の広がり、じゅうたんを敷きつめたような黄色の菜の花、縦横に交錯するクリークの水面は朝やけに映えてかがやいている……。足
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 9 PDF HTML
-
17. 水郷蘇州 江蘇篇(上)
耳ざわりのよい呉語蘇州の街を散歩する。時に、足を止めて当地の婦人たちの会話に耳をすます。何を話しているのか、さっぱり分からない。しかし彼女たちの発音は柔かくて耳ざわりがよく、抑揚に富んだ声調と、語尾をのばす話し方や、リズム感と優雅な味わいに富む話し方は、あたかも美しいメロディーを聞くようだ。まさに芸術的といってもよいだろう。蘇州語は呉語に属している。呉語は上海市と江蘇省の南部、浙江省の大部分に通用
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 11 PDF HTML
-
18. 太湖有情 江蘇篇(下)
蘇州の刺繡と伝説古典小説『水滸伝』を読んだことのある方は、両の腕や肩、胸に九匹の竜の入れ墨をして「九紋竜」のあだ名で呼ばれた梁山泊の勇者、史進のことを覚えておられるだろう。刺しゅうの里蘇州での取材中に知ったことだが、驚いたことにこの入れ墨という古い習俗が、つまり刺しゅう工芸の発端なのだという。―大昔のことである。江南の水郷は、地勢が低いのでつねに水害に見まわれた。そのつど、水中にひそんでいた蛟竜が
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 12 PDF HTML
-
19. 緣日と泥玩具 河南篇(上)
豫は、河南省の別称である。豫は牧人が象を引っぱる意味の象形文字だ。むかし、河南地区は温暖湿潤であったため、象の生息に適するところだった。飼いならされた象を農耕や運送に使う者もいたと伝えられる。古代中国の九州のうち、豫州は中央部を占めたので中州とも称された。河南は、中華民族発祥地の一つだ。豫北(河南省の北部)の安陽市郊外にある殷墟は、かつては商(殷)の都だった。そこから出土した数多くの甲骨文と青銅器
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
-
20. 黄河滔々河南篇(下)
黄河は中国第二の大河であり、中華民族の揺籃である。早くも八十万年前の昔、黄河流域に生活した原始先住民は、中国の古代文明を創りはじめたのである。ところが、川水が黄色く濁っていることから名付けられた黄河は、害をもたらす川でもあった。二千年余りこのかた、決壊·氾らんすること千五百回余り、河道の変化が二十六回もあった。洪水は黄河両岸の人民に多大な災難をもたらすとともに、沿岸の村々に独特な習俗を形づくらせた
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 2 PDF HTML