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Your search : [ author:作家 中沢けい] Total 30 Search Results,Processed in 0.143 second(s)
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11. お茶の縁ふたたび
三百年以上前、中国の明朝は、国内の農民蜂起軍と北方遊牧民の満州族軍から攻撃を受けた。儒学者·朱之瑜(日本では号の舜水が有名、浙江省余姚(よよう)出身、一六〇〇~八二)は、明朝が存亡の機にあったころ、単身海外を奔走し、日本や東南アジア諸国に援軍を求めた。しかし彼の願いもむなしく、満州族が明朝を倒して清朝を打ち立てた。そして彼は、故国に帰ることすら叶わなくなった。時は流れ、六十歳を過ぎたころ、水戸徳川
Author: 在日中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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12. よみがえれ 革命詩人 秋瑾の心
浙江省紹興市の繁華街、軒亭口の道路を左右に分けるように、高さ十メートルほどのコンクリートの秋瑾烈士記念碑が立っている。一九〇七年七月十五日の夜明け前に、女性革命家秋瑾はこの碑の場所で衆人環視の中、斬首刑に処せられた。午前三時に山陰県監獄から曳き出された彼女は、県衙門(がもん)で即刻死刑の宣告を受けたとき、動じる色もなく知県(県知事)の李宗嶽(りそうがく)に訣別の遺書を書かせよ、袒衣(たんい)(斬首
Author: 伝記作家 永田圭介 Year 2005 Issue 3 PDF HTML
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13. 青春は美しいもの
母の決めた結婚に反対一九三一年の春のことだった。そのころ、私は北京郊外にある西山温泉女子中学の三年生だったが、寄宿舎にいる私のところに、すぐ帰るよう家から電話がかかってきた。なにごとかと急いで家に帰ってみると、母は、わが家が破産してしまい、そのうえ父は私たちを棄てて家出してしまったとつげた。母は私に国民党のある高級将校と結婚するようにすすめた。その人と結婚すれば、一家はこれからも楽な生活をすること
Author: 女流作家·『青春の歌』の著者 楊沫 Year 1978 Issue 1 PDF HTML
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14. 中日韓 色の比較文化論
私の妻が初めて日本にやって来たのは一九九七年の秋のことだ。それから半年ほど経った頃、私は彼女に「どう、日本の印象は?」と聞いてみた。彼女は「う~ん」と、しばらく考えてから「色に例えて言うなら、日本は特に何色と名付けられない雑色ね」と言った。「中国人と比べて、日本人の着ている服は曖昧な中間色が多いし、日本人のハートや表情だってそんな感じだわ」。私はまったくその通りだ、と思って何度もうなずいた。色にみ
Author: 文化人類学者·在日中国人作家 金文学 Year 2001 Issue 1 PDF HTML
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15. チベット画大師 アムド·チャンパ氏を訪ねて
チベットでは、宗教を題材とした重要な絵画には、作者の名前をつけないのが慣例となっている。有名な寺院宮殿のポタラ宮やノルブリンカの壁画は、歴史を刻んだ貴重な文物として称えられているが、作者たちのことを知る人は少ない。その一人が、安多強巴氏(アムド·チャンパ)(一九一四~)である。中国中央テレビ局(CCTV)は一九九七年、文芸番組「美術の星空」で、チベットのこの百年を絵画にしるしたチベット画大師·アム
Author: 文 写真·温普林(ドキュメンタリー作家) Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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16. 茶菓子遊びとプロポーズ
前回、明末期の儒学者·朱之瑜(号は舜水)に触れたが、彼の名前からは、同時代の著名な文人である李漁(浙江省蘭渓出身、号は笠翁、一六一一~八○)を思い出さずにはいられない。朱之瑜と李漁はともに浙江省の人だが、性格はまるで違う。朱は、まじめすぎるくらいまじめで、一方の李は、何をするにも遊び心を持っていた。朱は、江戸前期の日本での儒学の発展に貢献し、特に水戸学の形成を推進した。李は、日本に足を踏み入れたこ
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 2 PDF HTML
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17. 竜之介と「草決明」
日本では、サクラが開花する旧暦三月(新暦では四月頃)は「サクラの月」と呼ばれる。しかし、この季節に私が最初に思い浮かべるのは、サクラではなく、大作家·芥川竜之介である。今年は、一八九二年三月一日生まれの彼の生誕百十周年に当たる。私は、まだ日本について全く知らなかった十六、七年前、初めて芥川の作品に触れた。当時北京では、毎年一回、古本市が開かれていて、大量の古雑誌を買い集めたが、その中に、中国の作家
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 3 PDF HTML
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18. 「春茶」の味わいと思い出
二月初めから三月初めの一カ月、私は北京、天津、南京、上海を訪れた。どうしたことか、旧正月前後の北京と天津は、大げさに言えば、まるで初夏のような陽気だった。三月初めの南京では、ぐずついた日が続き、ようやく肌寒さを感じた。南京に着いた日、ちょうど梅祭りが開幕した。私は友人と連れ立って「梅見」に出掛け、ふと「梅の花が春を告げる」という故事を思い起こした。北はもう初夏で、南では梅で春を感じるなんて、南北が
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 5 PDF HTML
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19. 茶禅一味
私は今までに六回、京都に遊んだが、また行くチャンスが巡ってきた。今回は、何が何でも建仁寺まで足を伸ばしたい。実は、ずっと前から行きたかったが、きっと、縁がなかったからだろう。門の前を通ったにも関わらず、入れなかったこともあった。今年はちょうど、建仁寺建立八百周年に当たる。今回の京都訪問では、ようやく私の願いを果たせるだろうという予感がする。建仁寺にひかれるのは、もちろん、そこが栄西禅師(字は明庵)
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 6 PDF HTML
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20. ふるさとの茶を日本で楽しむ
今年は、京師大学堂(北京大学の前身)の初代総教習(学長に相当)である呉汝綸の日本視察百周年であり、魯迅の日本留学百周年でもある。二つの百周年とその背後にある物語に、私は無限の感慨を覚える。日本が中国から学んだ歴史は千年以上になるが、一方で、中国人が本気で日本に注目し始めてからは、わずか百年程度という事情に思い至る。清代の初の駐日外交官は、なんと、通訳を伴わなかったと言われている。おおかた、日本でも
Author: 日本在住中国人作家 靳飛 Year 2002 Issue 7 PDF HTML