Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:作家 中沢けい] Total 30 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
-
1. 悠々たる中国女性作家
我が家の郵便受けに簡素な茶封筒が一通、配達されたのは、一九九九年の年末も近いある日だった。のっけから余談になって恐縮だが、日本の集合往宅では共同の郵便受けを設置することが法律で義務付けられている。私の家は東京郊外の典型的集合往宅の八階にある。世帯数は百五十世帯ほどで、共同玄関のわきに郵便受けが並んでいる。私は帰宅するとまずこの郵便受けに配達されたものを取り出す。少し悪い癖があって、郵便物の中に見知
Author: 作家 中沢けい Year 2002 Issue 2 PDF HTML
-
2. 中国革命の源
これまで「中国共産党第一回代表大会記念館」を何度訪れたか、わたしは覚えていない。だが最初にそこへいったときのことは今でもありありと思い浮かべることができる。一九四九年のことであった。一九四九年、それは生涯忘れることのできない年である。この年の春―四月に、陳毅元帥は、われわれの偉大な英明な指導者毛主席の指揮のもとに、人民解放軍第三野戦軍をひきいて長江をわたり、余命いくばくもない蔣介石王朝の古巣南京を
Author: 作家 杜宣 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
-
3. 亡命時代の事ども
一九二八年の夏から三〇年の春にかけ[注释1]私は亡命者として日本にいっていたことがある。半世紀を隔てたいま、当時の日本での見聞も、おおかたは思い出せなくなっている。それに、当時、私は日本での生活費と上海に残してきた家族への仕送り費を得るために、せっせと物を書いては中国の新聞雑誌に寄稿し、原稿料をかせがなければならなかったので、日本の風土人情を知るべく見物してまわるような時間もなかった。しかし、ほこ
Author: 茅盾(作家) Year 1980 Issue 1 PDF HTML
-
4. 中国革命をはぐくんだ山―井岡山
道秋のある日、われわれはジープで湖南省東部の瀏陽山区へ向かった。近くには濃いみどりの葉のあいだに白い花をつけた椿の木が、遠くには、こずえに赤い葉をのぞかせる楓の大木がみえる。このみどりとあでやかな赤のあいだには、黄金色にいろづいた水田がひろがっている。稲の黄色は豊作の秋の象徴である。われわれは人の心をひきつける秋景色を楽しんでいた。とつぜん、案内にたってくれた人が、「あ、文家市だ!」と低い声でつげ
Author: 作家 王願堅 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
-
5. 延安時代の毛主席
毛主席は陝西省北部の延安で十三年間生活された。その間、毛主席は、抗日民族統一戦線の結成から抗日戦争に勝利するまで、中華民族による抗日戦争をその全過程にわたって指導された。また、解放戦争の勝利のために、帝国主義、地主、官僚資産階級の血なまぐさい支配をくつがえして、人民民主主義独裁にもとづく新中国をうちたてるために、その準備をととのえ、幹部の養成にあたられたのである。延安は中国の西北部にひろがる黄土高
Author: 作家 呉伯簫 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
-
6. 西柏坡村での毛主席
西柏坡(シーバイポー)は、太行山脈の東麓、河北省の平山県に属する。北京からは約三百キロあまり、河北省の省都·石家荘からは約六十キロの地点にある。かつての抗日戦争のころには山西·察哈爾·河北軍区の中でも有名な抗日根拠地であった。一九四八年五月から一九四九年三月までの十ヵ月、さまざまな歴史的事件にいろどられるこの期間、毛主席は西柏坡ですごされた。いまではこの西柏坡は全国人民のあこがれの地―革命の聖地に
Author: 作家 張慶田 Year 1977 Issue 9 PDF HTML
-
7. 青少年時代の毛主席
偉大な指導者、教師―毛主席がわれわれのもとから永遠に去ってゆかれてはや一年になる。だが、その音容、爽やかで大らかな姿、諧謔に(かいぎやく)とみ含蓄のある話しぶりは、いまもわれわれの眼の前に浮かんでくる。中南海のあたりを通るたびに、湖畔の木蔭の奥に見えかくれする家をのぞむとき、毛主席が今もそこで仕事に没頭しておられるような思いをいだくのである。たしかに、毛主席は青年のころから、亡くなる直前まで、休む
Author: 作家 周立波 Year 1977 Issue 12 PDF HTML
-
8. 中日関係をどう見つめるべきか
昨年十月、日本を訪れた中国の朱鎔基総理がTBSの番組に出演した時に胡弓を弾いた。もちろん、日本国民に対するサービスである。中日関係は九〇年代に入ってからぎくしゃくした状態が続いている。こうした局面を何とか打開したいというのが朱鎔基総理の訪日目的の一つであったと思われる。中日関係がなぜ冷え込んでしまったのか、その原因はいったいどこにあるのか。こうした問題を根元から突き止めて解決すれば、朱総理の胡弓の
Author: 在日中国人作家 莫邦富 Year 2001 Issue 3 PDF HTML
-
9. 日本の友人四竃恭子さんを偲ぶ
梅雨はもう明けたようだったが、このところ夕方近くになるといつも土砂降りの雨が二、三時間続いてはぴたりと降り止む。昨日、伊藤歯科医院に虫歯の治療に娘を連れて行った帰りに大雨に降られ、着ていたものがずぶ濡れになってしまった。娘はかえって興奮して「北京の雨みたい」と何度も私に言った。私はしばし考えて、この感じは悪くないと思った。東京の雨はまるで日本語のように曖昧模糊としていることが多い。見ると地面が雨で
Author: 在日中国人作家·靳飛 Year 2001 Issue 6 PDF HTML
-
10. 中国と日本、ふたつの風景に寄せる思い
十二年以上も過ぎたいま、私は北京から日本に移住してきた。この空間の移り変わりについて、言語は、どれほど費やしても人間の思いを完全に言い表わすことができない脆いものであったかもしれない。しかし、二つの国、時にはたった二つの風景だけで、正確に私の思いをとらえることができた。それは、次のような風景であるのだが、中国の沙漠植林、そして日本、壁の上の空き缶という文字の配列が、私に時間と空間の長いトンネルを通
Author: 在日中国人作家 毛丹青 Year 2001 Issue 9 PDF HTML