一九二八年の夏から三〇年の春にかけ[注释1]私は亡命者として日本にいっていたことがある。半世紀を隔てたいま、当時の日本での見聞も、おおかたは思い出せなくなっている。それに、当時、私は日本での生活費と上海に残してきた家族への仕送り費を得るために、せっせと物を書いては中国の新聞雑誌に寄稿し、原稿料をかせがなければならなかったので、日本の風土人情を知るべく見物してまわるような時間もなかった。しかし、ほこ...
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一九二八年の夏から三〇年の春にかけ[注释1]私は亡命者として日本にいっていたことがある。半世紀を隔てたいま、当時の日本での見聞も、おおかたは思い出せなくなっている。それに、当時、私は日本での生活費と上海に残してきた家族への仕送り費を得るために、せっせと物を書いては中国の新聞雑誌に寄稿し、原稿料をかせがなければならなかったので、日本の風土人情を知るべく見物してまわるような時間もなかった。しかし、ほこ...