Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:撮影 臧延祚 葉 軍 狄華] Total 738 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
-
121. 雨の町―雅安
四川省の雅安(があん)は広大な四川盆地の西外れにある。上空で高原の暖気流と盆地の湿った空気がぶつかってよく雨を降らせる。年間雨量一七七四ミリは北京のざっと三倍、「三日に二日は雨、外出にカサはつきもの」なのが雅安の習慣である。しかし去年は勝手がちがっていた。一週間ほど雅安にいる間、とうとう一滴も雨なしのカンカン照り。市民も面くらって、晩ご飯のすむころになると一斉に外に出て夕涼み。学生は木陰で勉強、子
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
-
122. 北京の宮廷料理
「世界に冠たる」などという大げさな形容詞はあまり使わない方がいいと思うが、こと中国料理に関しては、それも許されよう。そして、中国料理の中でもさらに「冠たる」存在と言えば、栄華を極めた清帝国の皇帝や皇后の料理を作っていた厨房―御膳房の豪華けんらんたる宮廷料理ということになるだろうが、その宮廷料理を供する料亭がいま北京に三店ある。北海公園の中にあって七十年の歴史を誇る「仿膳飯荘」、颐和園にある「聴鸝館
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 7 PDF HTML
-
123. 天津南市食品街
天津に行ったときはぜひ寄って欲しいのが、ここに紹介する南市食品街だ。一九八五年、天津駅から西へ約一キロの南市地区にできた、面積四〇〇〇〇平方メートルの大フードセンター。大小さまざまの規模とさまざまの特色をもった料理店が八十三店あり、そのほかに娯楽ホールも八店ある。中国の八大料理―四川、山東、広東、湖南、蘇州、浙江、福建、安徽の名品はもちろん、天津、北京、山西の伝統的な小吃(シャオチー、一品料理)約
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 8 PDF HTML
-
124. 洛陽のスープ料理
ふつう中国人は、人と会ったとき「あなたはもう飯を食べましたか?」とあいさつするが、洛陽では「あなたはもう飲みましたか」とあいさつする。「それほど私たちは、スープが好きなんですよ」と彼らは言う。洛陽の漢代古墓群博物館には、宴会でスープを供している壁画がある。スープへの彼らのこだわりは大昔からのものであることが、よくわかる。それは多分、この土地が内陸部にあって気候が乾燥しているからだろう。彼らは好きき
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
-
125. 阿壩(アバ)草原の人びと
8月初めの成都は、たいへんな暑さだった。だが、西北へ直線距離にして約300キロの阿壩チベット族·チャン(羌)族自治州まで来ると、そこはまさに別天地だった。高山と峡谷が入り乱れ、その高度差は1500~3000メートル。気候の垂直分布もみごとに顕著で、わずか20日間の取材旅行中に、亜熱帯、温帯(そこにも、比較的暖かいところと、比較的寒いところがあった)、寒帯の気候と万年雪の積雪地帯を体験した。たった1
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
-
126. 開封の宋菜
開封は、戦国時代の紀元前三六二年、山西にいた魏がこの地に都を移して以来、七つの王朝の都となり、それゆえに「七朝の古都」と呼ばれる。九六〇年宋(北宋)の都となってからは、長安、洛陽に替わる政治経済の中心として、大いに繁栄した。とくに宋は、この都の商業的繁栄に力を注いだ。従来の坊里制度を廃し、道路沿いに商店、料亭、茶店などを積極的に設けた。料亭は七十二軒もでき、「宋菜」と呼ばれる独自の料理が生まれた。
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 10 PDF HTML
-
127. 広州の早茶
北京では「早点」と言っている朝食のことを、広州の人びとは「早茶」と呼ぶ。広州人はこの早茶を大切にしていると聞いていたので、私は広州に着いた翌日の朝、さっそく賞味してみることにした。私が入ったのは「富豪酒家」という店だった。正直のところいささか気後れしたが、『人民中国』に書くのだから、いいかげんな店では申し訳ない。内部のしつらえは確かにりっぱなものだった。早い人は6時ごろから来ているという。明らかに
Author: 文·写真 狄華 Year 1993 Issue 11 PDF HTML
-
128. 潮汕菜
広東省の潮州、汕頭(スワトウ)地方でつくられている潮汕菜は、中国四大料理の一つ、広東菜(粤菜=ユエツァイ)の分流。ほかにも、広州菜、客家(ハッカ)菜、海南菜などの分流があるが、いまいちばん好まれているのが、ここに紹介する潮汕菜だ。そのルーツは、遠く唐代にさかのぼる。唐宋八大家の一人に数えられる韓愈(七六八~八二四)が、仏骨を宮中に迎えようとした皇帝憲宗を諫めたため潮州刺史に左遷され、それとともに中
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
-
129. 広東省石湾の置物陶器
石湾は広州から三十キロほどの所にある。昔から陶器作りが盛んで、その製品は国内をはじめ諸外国に輸出されている。とくに石湾の瓦は天下一品と評されてきた。しかし古い資料をみても石湾窯のことはあまり書いていないので、いつから陶器作りが始まったかはっきりしない。それでも、唐代には一定の規模で手工業生産が始まっていたことは確かだ。一九五七年と六二年に石湾と南海県から唐代の窯跡群が見つかり、石湾の陶器生産はその
Author: 写真·文 狄華 Year 1993 Issue 12 PDF HTML
-
130. 戦史の語り部 漢の兵馬俑
一九八四年十二月、戦史に名高い江蘇省の古い都市、徐州にビッグニュースが……。それは、あるれんが工場が東郊の獅子山でブルドーザーで採土中に、地下に眠っていた二千余年も昔の楚国の兵馬俑が出てきたという大発見である。「俑(よう)」とは古代副葬品として用いた土偶·土人形のことで、考古学者らの慎重な発掘を経て、徐州兵馬俑は今のところ四つの歩兵俑坑と一つの馬俑坑から発見され、その総数は四千体以上に達する。これ
Author: 写真·文 狄華 Year 1994 Issue 3 PDF HTML