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Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.071 second(s)
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101. 高能率油井の誕生
ここ数年らい、勝利油田では、かなりの数の高能率油井が掘りあげられた。社会帝国主義の御用学者が、石油のでる見込はとうていないところと「折がみ」をつけた渤海湾に、この高能率油井があらわれたのである。この事実は、下心をもってかれらがふりまいたでたらめな主張にみごとな反駁を加えている。記者は産油量の最も多い油井をたずねた。これまでに見たものとはちがって、この油井のクリスマス·ツリー(採油制限装置)には四つ
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 8 PDF HTML
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102. 中国人民解放軍第三回競技大会から
さきごろ、中国人民解放軍第三回競技大会が北京でひらかれた。全国各地からきたおよそ五千名の選手が、軍用銃射撃、銃剣術、手りゅう弾投げ、障害通過、サイドカー、クロスカントリ、専用銃射撃、体操競技、陸上競技、水泳、重量挙げ、球技など十八種目の競技にそれぞれ参加した。この大会で一種目に世界新記録、九種目に全国新記録、四十六種目に解放軍新記録をうちたてた。今回おこなわれた競技大会は、人民解放軍のスポーツ活動
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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103. 中国最初の海底掘さく「船」
海上は波高く荒れ狂っている。海底油井掘さく「船」「渤海一号」は、四本の長脚で本体を海上にささえあげながら、風に吹かれ、波にたたかれても微動だにしない。「船」上からは掘さく機械がうなり声をあげながら海底深くくいこんでゆく。鮮やかな赤色の中華人民共和国国旗が高いやぐらにはためいている。自力で海底油井掘さく「船」を油井掘さく「船」に乗りこんですぐこれが、普通の船とはだいぶ違うことがわかった。これは、正式
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 9 PDF HTML
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104. 大慶精神に学んでタンカー「大慶」号を建造
記者が大連紅旗造船所に取材に訪れたとき、ちょうどタンカー「大慶六二号」の進水式がおこなわれていた。二万四千トンのタンカーが一瞬のうちに船台を滑りおり、波しぶきをあげて海面に浮ぶ。そばにいたひとが、「実に大したものだ。こういう大型船を建造したとは……」と感嘆の声をあげた。「いや、まだ大きいとはいえませんよ。もう少したてばもっと大きいのができます」―こう言ったのは、三十歳前後の造船労働者だ。かれのいう
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 10 PDF HTML
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105. 中国婦人の解放活動·生活
東の空が白みはじめると、ひっそりとしていた広場は急にざわめきだした。年のいった婦人労働者や婦人幹部、女教師、主婦や娘たちが朝日をあびて、朝の体操や武術のけいこにはげむ。あちらでは剣術、こちらでは太極拳といったように……一年中こうした光景がつづく。いかにも楽しそうに生きいきとしたかの女たちの姿を見ていると、どうしても、さまざまな思いにかられる。まず心に浮んだのは伯姫の物語である。今から、二千余年まえ
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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106. 阻むことのできない友情の奔流
グラビア参照発展途上国の人民とスポーツ選手の間の友情を深め団結を強め、これらの国の水泳選手が互いに学び、経験を交流してともに技術を高めることを目的とする国際水泳·飛込み友好招待試合は、八月二日から十日にかけて、北京で開催された。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、ヨーロッパの二十三の発展途上国と地域からあつまった三百余名の友人がこの招待試合に参加した。これらの国と地域は、アルバニア、アルジェリア、ビ
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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107. 渤海湾の大港油田探鉱記
大港油田についたその夜、月光を浴びながら散策にでかけた。渤海の波浪が、防波堤をあらっている。その防波堤上の小屋からあかりがもれていた。近寄って窓からみる。一心にメーターをみつめ、記録をとっている女子採油労働者の姿がそこにあった。防波堤上にある油井から噴出する石油がかなでる旋律、寄せてはかえす浪の音がその伴奏といえよう。歩みをとめ、じっと聞きいる。遠くからさく井機のひびきが伝わってきた。不夜城の油田
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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108. 発展する農村の化学肥料工場
中国は自らの力で八億にのぼる人口の食糧問題を解決した。これをなしとげた要因は多いが、そのうち、化学肥料工業、とりわけ農村の小型化学肥料工場の建設と発展がこの面で果した役割は見逃すことができない。ことしの夏、記者は江蘇省を訪れ、当地の小型化学肥料工場をいくつかまわってみた。小さくても力は大きい長江の下流にある江蘇省は、中国における穀物の主産地の一つであり、また全国的にみて、小型化学肥料工場の発展が比
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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109. 新し型の農民を育てる大学
解放前の中国における教育は、イギリスやアメリカのそれをまねていた。ついで、解放以後~一九六六年のプロレタリア文化大革命にいたる期間の教育は、修正主義路線をおしすすめる劉少奇によってソ連修正主義のそれがうけつがれた。したがって、「教育は革命をしなければならない」と毛主席は指摘したのである。
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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110. 油井の主人公になった採油労働者
「地下宮殿」の由来大慶油田を訪れたわたしは、「地下宮殿」とよばれている展覧館を見せてもらった。なかに展示されているさまざまな模型、地質構造図などが、油田の地下の状況を如実に示している。「地下宮殿」というこの比喩的な名称は、労働者が考えだしたものである。大慶油田の開発当初、カギとなる技術問題を討論する座談会が、百人あまりの労働者と技術者の参加のもとに開かれたことがある。その席上説明にたった地質担当者
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 12 PDF HTML