Current Location: Home » Full Text Search
Your search : [ author:本誌記者 孫聰宝] Total 323 Search Results,Processed in 0.100 second(s)
-
91. 唐の都·長安 中日両国人民の伝統的友誼を憶う
一九七二年九月、中日両国政府の首脳が実りゆたかな会談を北京でおこない、両国関係の正常化を実現した。こうして、中日関係史上に新たな一ページがひらかれたのである。中日両国は二千余年にわたる長い、伝統的な友好の歴史をもつ。この長い歴史の源にふれたい思いにかられて陜西省の省都―西安を訪ねた。西安は古代の長安である。この長安は七世紀から九世紀にかけての約三百年間唐(紀元六一八~九〇七年)の都であった。中国の
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 1 PDF HTML
-
92. 出産を計画的に
ある産婦人科病院で北京の安定門内の大躍進路に産婦人科病院がある。所在の町の名をとって「大躍進路病院」という。ここには診察室、手術室、休憩室、入院室などからなる計画出産門診部(メンゼンブー)がある。「どうぞ、おはいりください」と女医の張欣遠さんが記者を休憩室に案内してくれる。部屋は広く、実に明るい。白いシーツを敷いたベッドが並んでいる。かべぎわのベッドには、若い婦人が横たわり、そのかたわらに夫が腰を
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 2 PDF HTML
-
93. 学校がひけてから
課外活動の時間になると、培光中学では校舎も校庭もひときわ熱気があふれる。バスケットコートでは、目下試合のまっさいちゅうで選手たちは流れる汗をぬぐいもせず、球技に熱中していた。卓球室では、どの卓球台も人垣で囲まれている。試合を見ながら自分の番を待っているのだ。あちこちの教室ではグループ別の活動に心をうちこむ生徒たちの姿が見られた。楽しいグループ活動ここはかなり大きな部屋、机の上にはさまざまな船の模型
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 7 PDF HTML
-
94. 南海の漁村
広東省の珠江から南中国海へ出ると、百をこえる島じまが屹立し、天然の屏風を形づくっている。これが美しく、ゆたかな万山群島である。漁村の新しい姿汽船で珠江の河口をでる。ひろびろとした南中国海を航行しまず大万山島に着いた。すばらしい眺めだ。漁港はみかづき形の緑の島にあり、山のふもとには、新しい漁民の住宅が五棟並んでいる。港には船がもやい、発動機のひびきが活気をそえている。新設の埠頭では人びとが水揚げ作業
Author: 本誌記者 Year 1973 Issue 7 PDF HTML
-
95. 中国北部最大のみなと―天津新港
天津は北京の門戸といわれるが、その天津にある新港は、首都の海の玄関と呼ばれる。天津の都心から車を走らせると一時間ほどで、新港―中国北部最大の港に着く。友好の港新港の臨港地区には、目立った施設として国際海員クラブがある。緑の瑠璃瓦の建物で、世界の国々から海を渡ってきた海員の憩いの場である。娯楽室、閲覧室、劇場、商店、食堂なども完備しているが、とくに興味を引くのは、各国の海員からの贈り物や記念品を陳列
Author: 本誌記者 Year 1974 Issue 5 PDF HTML
-
96. 世界の人口問題について
今年の八月、ルーマニアの首都ブカレストで、国連世界人口会議が開かれた。中国代表団の黄樹則団長は、本会議で発言し、世界人口の主要問題にたいする中国の見解と主張を明らかにした。 以下、いくつかの主要な問題についての発言内容を掲載する。世界人口についての基本的な見方この数十年間、世界の政治·経済情勢の発展にともない、世界人口、とくに第三世界の人口はかなりの急テンポで増えてきた。現在、第三世界は三十億近い
Author: 本誌記者 Year 1974 Issue 12 PDF HTML
-
97. 大やけどをした婦人労働者に第二の生命を
先日、北京医学院第一付属病院物理療法科の殷秀珍さんたちが、婦人労働者の王世芬さんの家を訪れるというので、記者もいっしょにいかせてもらうことにした。王さんはかつて体表の九八%をやけどし、医師たちはその機能回復をしらべるための訪問だった。王世芬さんはちょうど机にむかって読書をしていた。私たちが訪れたのを知ると、立ちあがって、医師たちを迎えいれた。炭のようになった人王世芬さんは北京花火工場の婦人労働者で
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 1 PDF HTML
-
98. ピッチをあげる中国の石油工業
いま、資本主義世界では「エネルギー危機」だと大いに騒いでいるが、新中国は石油の自給自足を実現したばかりか、輸出さえするようになった。 かつては「貧油国」といわれていた中国が、一躍して石油の輸出国となったのはなぜか。 中国石油工業の概況と社会主義中国における石油工業が歩んできた自力更生の道を報道するため、まず大慶油田を、ついで大港油田、オイルパイプライン、石油輸出港、石油化学工場、石油機械工場などを
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 2 PDF HTML
-
99. ふえる石油“家族”
慶祝の装いをこらした列車が青い海を前にする港に沿って徐行する。やがて大きくカーブすると、機関車はドラ、太鼓、爆竹の音につつまれ、しだいに速度をゆるめて停車した。プラットホームを埋める人びとは花束をふり、歌をうたい、踊りをおどってよろこび迎えた。祝日のふん囲気につつまれる大連第七精油所に迎えられた“貴賓”は、大慶油田の原油を満載した最初の列車だ。それは一九六〇年の盛夏の意義ある日―八月二十七日であっ
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 3 PDF HTML
-
100. 社会主義祖国のために
有意義な会食十年前のある日、勝利油田の党委員会は、末端組織の指導幹部をまねいて会食した。各人の前に出されたのは白菜の汁一碗、野生の菜の種を粉にしてつくった蒸し団子が二つだった。「ここに出席しているふるい同志の中には、抗日戦争に参加したもの、解放戦争に参加したものもいる」党委員会の指導者は席を立ってみんなを見まわして、ことばをつづけた。「きょうは、みんなにあつまってもらって“革命的な食事”をとること
Author: 本誌記者 Year 1975 Issue 7 PDF HTML