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Your search : [ author:陳舜臣
写真=陳立人] Total 22 Search Results,Processed in 0.092 second(s)
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1. 北京 上
みやこ北京北京地方は、周代のはじめから燕に属していました。燕という国は、紀元前二二二年に、秦の始皇帝にほろぼされたのですが、それまで約九百年もつづいたといわれています。そのあいだ、春秋戦国の乱世を経ていますので、都はなんども移転したでしょう。それでも、たいてい現在の北京の近辺であったと推定されています。そんなわけで、北京の別名を、「燕京」と呼ぶこともあるのです。燕は戦国七雄の一つでしたが、燕の都と
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1979 Issue 4 PDF HTML
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2. 中国歴史の旅 北京 下
西太后の隠居所北京の郊外へ行ってみましょう。ここで郊外というのは、むかしの城壁の外という意味です。西北郊に北京大学、清華大学そして頤和(いわ)園などがありますが、東京の住人の感覚からいえば、このあたりは市内に属するでしょう。都心からそんなに遠くはなれていません。頤和園は清朝時代の離宮です。西太后が海軍の予算を、この離宮につぎこんだのは有名な話なので、彼女がつくったと思われています。じっさいは、西太
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1979 Issue 5 PDF HTML
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3. 万里の長城
民族交流の玄関北京の西北郊、明の十三陵と万里の長城が走っている八達嶺とのあいだに、居庸関という遺跡があります。紀元前三世紀のころの『呂氏春秋』という本に、すでに居庸関の名称が出ていますから、ここは古くからの関所だったのでしょう。箱根、勿来(なこそ)、安宅(あたか)などの日本の例でもわかるように、関所というのは要害の地に設けられるものです。居庸関も北京を守るための、要害の地であったのはいうまでもあり
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1979 Issue 6 PDF HTML
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4. 江西の山とまち
1江西省には、忘れられない山が二つあります。北の廬山と南の井岡山です。廬山は古代から現代にいたるまで、さまざまな時代のさまざまなエピソードをひめています。井岡山のほうは、二十世紀の革命の根拠地として知られているのはいうまでもありません。廬山は景勝の地です。周の武王の時代といいますから、紀元前千年以上まえの、神話期といってよいほどのむかし、匡俗(きようぞく)という人がこの山に住んでいました。俗という
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1979 Issue 7 PDF HTML
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5. 桂林·南寧
―桂林の山水は天下に甲(こう)たり。桂林の風光を語るとき、かならずこのことばが前置きのようにされます。甲というのは、十干(甲、乙、丙、丁……)の最初の字なので、第一という意味になるのです。どこにもお国自慢というのがあって、天下一争いをするものですが、山水の美しさにかけては、桂林と争おうとするライバルはあまり見あたりません。この地方は三億年ほど前は海底であったそうです。気が遠くなるほどの長い歳月のあ
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
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6. 四川
四川という地名は、宋代にはじまったといわれています。顧炎武(一六一三―八二)の『日知録』によれば、宋代、この地方は「川陝(せんせん)四路」と呼ばれ、省略して四川となった、とあります。ほかに、濾(ろ)江、岷(みん)江、雒(らく)江、巴(は)江の四つの川から名づけられた、という説もあるようです。四川省の東部は四川盆地で、西部はチベット高原の延長である川西高原です。四川盆地のなかでも、成都市と重慶市を含
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1980 Issue 10 PDF HTML
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7. 山東
東につき出した大きな山東半島は、大海を渤海と黄海に分ちます。山東地方が海と縁が深い土地柄であったことはいうまでもありません。西方の内陸部育ちの秦の始皇帝は、海がめずらしかったのか、天下を統一すると、三たびもこの地方を訪れています。始皇帝二十八年(西暦前二一九)芝罘(しふ)山と琅邪(ろうや)山へ行き、秦の徳をたたえる石碑を立てました。芝罘山は山東半島の北部で、琅邪山はおなじく半島の南部の根もとにあた
Author: 陳舜臣 写真=陳立人 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
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8. 友好雑感
私が住んでいる神戸市に有馬温泉がある。市内といっても、戦後編入された新市区で、旧市街区は六甲連山の南にあり、温泉の出る有馬はその北にあり、郊外といったかんじがする。もっとも近年、六甲山に二つのトンネルが掘られ、交通はずっと便利になった。市の中心部から半時間ほどで行ける。そこに市立有馬温泉会館があり、その前に 日本第一神霊泉 と刻んだ古い石碑が立っている。 そして、その下に 姑蘇 江芸閣 と、おなじ
Author: 陳舜臣 Year 1979 Issue 1 PDF HTML
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9. 中国历史の旅
次号(4月号)より連載開始中国は歴史の宝庫です。どの山にも河にも、どの町にも建物にも、深い味わいのある歴史が刻みこまれています。しかもそれは、単に過去として切り離されたものでなく、数千年の昔から今日の革命中国に至るまで息づく生命をもちつづけ、人民の血と汗と英知とがにじんでいるのです。そこにはまた、日本との長い交流の歴史のなかで、お互いの先人たちが残した足跡も少なくありません。これらの由来を知るとき
Author: 陳舜臣 Year 1979 Issue 3 PDF HTML
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10. 甘粛ところどころ
一いま日本ではシルクロード·ブームです。それにかんする展覧会には、おおぜいの人がおしかけて参観し、それにかんする書物はひろく読まれています。シルクロードということばは、ドイツの地理学者のリヒトホーフェンが、はじめて言いだしたもので、十九世紀末の造語です。それがいつのまにか普及して、中国でもそれを訳して「絲綢之路」と呼ぶこともあります。古代、東の中国にたいして、西にローマという文明圏がありました。東
Author: 陳舜臣 Year 1979 Issue 9 PDF HTML