民族交流の玄関北京の西北郊、明の十三陵と万里の長城が走っている八達嶺とのあいだに、居庸関という遺跡があります。紀元前三世紀のころの『呂氏春秋』という本に、すでに居庸関の名称が出ていますから、ここは古くからの関所だったのでしょう。箱根、勿来(なこそ)、安宅(あたか)などの日本の例でもわかるように、関所というのは要害の地に設けられるものです。居庸関も北京を守るための、要害の地であったのはいうまでもあり...
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民族交流の玄関北京の西北郊、明の十三陵と万里の長城が走っている八達嶺とのあいだに、居庸関という遺跡があります。紀元前三世紀のころの『呂氏春秋』という本に、すでに居庸関の名称が出ていますから、ここは古くからの関所だったのでしょう。箱根、勿来(なこそ)、安宅(あたか)などの日本の例でもわかるように、関所というのは要害の地に設けられるものです。居庸関も北京を守るための、要害の地であったのはいうまでもあり...