東につき出した大きな山東半島は、大海を渤海と黄海に分ちます。山東地方が海と縁が深い土地柄であったことはいうまでもありません。西方の内陸部育ちの秦の始皇帝は、海がめずらしかったのか、天下を統一すると、三たびもこの地方を訪れています。始皇帝二十八年(西暦前二一九)芝罘(しふ)山と琅邪(ろうや)山へ行き、秦の徳をたたえる石碑を立てました。芝罘山は山東半島の北部で、琅邪山はおなじく半島の南部の根もとにあた...
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東につき出した大きな山東半島は、大海を渤海と黄海に分ちます。山東地方が海と縁が深い土地柄であったことはいうまでもありません。西方の内陸部育ちの秦の始皇帝は、海がめずらしかったのか、天下を統一すると、三たびもこの地方を訪れています。始皇帝二十八年(西暦前二一九)芝罘(しふ)山と琅邪(ろうや)山へ行き、秦の徳をたたえる石碑を立てました。芝罘山は山東半島の北部で、琅邪山はおなじく半島の南部の根もとにあた...