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Your search : [ author:立夏
え·陳玉先] Total 28 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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1. 金鐘(べル)は鳴る
二〇三四号列車は、時速百十キロのスピードで江南鉄道を走っている。あと三十一分二十秒たつと、つまり十七時五十五分には、列車は隣接鉄道局の終端駅である荷花塘を通過して、この鉄道局の最初の駅である望湖亭に到着する。大工業都市の近郊にある望湖亭駅は、にわかに色めきたった。当直の丁宝康は駅務室に腰をおろして、文化大革命のまっただなかで改正された新しい列車運行図表(ダイヤグラム)の最後の欄に、二〇三四号の到着
Author: 立夏 え·陳玉先 Year 1974 Issue 2 PDF HTML
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2. 南瓜(かぼちゃ)が卵(たまご)を生人だ謎
今日は日曜だ。青空には一点の雲もない。中国人民解放軍某部隊の第六中隊がこの山岳地帯にきてからというもの、雨かくもりつづきだった。今日はみんなの心も青空のように晴れわたり、どこもかしこも楽しそうな気分につつまれている。中隊のアマチュア演芸班の者は山腹にあつまって出しものの練習に余念がない。今夜ミャオ(苗)族の生産大隊の人たちと交歓会をひらくことになっているのだ。炊事場ではトントントンと威勢のよい包丁
Author: 張登奎 え·陳玉先 Year 1972 Issue 10 PDF HTML
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3. 母親
へさきに近い船室に座席を見つけ、手荷物を置き、気持が落ちつくと、はじめて、自分の向かいがわの席に、五十をこえたおばあさんがいるのに気づいた。白髪がめだち、しわがふかくきざまれているが、やさしいまなざしでわたしを見つめている。「おばあさん、どちらへお出かけですか」とわたしはたずねた。「陳婆州まで」とおばあさんはほほえんだ。おばあさんのことばには洞庭湖一帯のなまりがあった。そこで、わたしは言葉をついだ
Author: 孫景瑞 え·陳玉先 Year 1972 Issue 12 PDF HTML
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4. 赤い星の物語〈2〉
父が出発してから一ヵ月たった。「父ちゃんはなぜ帰ってこないの」とわたしは母にたずねた。「戦争がおわらないからだよ。おわればすぐに帰ってくるからね」と母が答えた。ひと月、ひと月と日がたっていった。それでも父は帰ってこなかった。「父ちゃんは帰ってくるのかな」と母にたずねてみた。「帰ってきますとも」と母が言った。「いつ帰ってくるの」わたしはそう言いながら泣きだしてしまった。母はわたしを抱きしめて、「冬ち
Author: 李心田 え·陳玉先 Year 1973 Issue 3 PDF HTML
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5. 雪路の水だち
一真冬の天気は気まぐれで変りやすい。西北風がいくたびか吹きぬけると、こんどは牡丹雪がちらちらと舞いだした。昼すぎにわたしは、まもなく入党することになっている同志と面接せよという任務をあたえられた。おもしろいことには、入党する同志の班長と副班長にあたる入党紹介者というのが、以前はふたりともわたしの班の戦士なのだった。入党する同志の名は江峻峰、党支部はかれを高く評価していた。が、入党とは厳粛きわまるこ
Author: 邵鈎林 え·陳玉先 Year 1973 Issue 8 PDF HTML
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6. 若い勇将
電気機械工場の会議室では、重要な生産任務についての打ち合わせがおこなわれていた。党委員会書記は話を終えると、いつものとおり意見をもとめるようなまなざしでひとりひとり見まわしていったが、やがてその視線はコイル職場の生産組長、鄭さんの所でぴたりととまった。この生産任務完遂のカギがコイル生産の繰り上げ完成にあるため、鄭さんの考えが聞きたいのである。いつもの鄭さんなら、たくましい腕をふり上げて「よしきた」
Author: 蕭関鴻 え·陳玉先 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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7. 橋
一鉄道労働者の家に生まれたせいか、ぼくはむしょうに鉄橋が好きなのだ。で、架橋隊の連絡員になれといわれたときのうれしさ、その夜はもう朝までまんじりともできなかったくらいだ。翌朝になると、カーキ色の軍帽をかぶり、荷物をせおい、そして、いちばん大切にしているカバン―ぼくの好きな数冊の小説と原稿用紙がそれには入っているのだが―を肩にかけ、いそいそと架橋隊の主任に会いにいった。主任はぼくの顔を見ると、うれし
Author: 周競 え·陳玉先 Year 1975 Issue 1 PDF HTML
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8. 同志
わたしは、日頃から「同志」という言葉の持つ意味について考えている。ある日、仕事から帰ってきた下の息子が、こんな話をした。かれの勤め先の局に新しい局長が赴任して来た。その局長は、自分のことを「局長」とか、「書記」とかと呼ばないでくれ、ただ「××同志」と呼んでくれればよいと、くりかえし言ったそうである。「それで、みんなはどう言っているのかね」「ほとんどの人がほめていたよ。やはり、老幹部は違うなって。だ
Author: 劉斌 え·陳玉先 Year 1978 Issue 6 PDF HTML
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9. 忘れ得ぬ人
昨秋のある午後のことであった。甄家荘(ゼンヂヤゾワン)から駅にむかう途中、わたしは一台の荷馬車に便乗した。いく束かの麻袋が置かれてあった荷馬車には、おおかた駅へでも行くのだろう、一人の軍人が乗っていた。軍人は三十歳あまり、上背のある、肩幅の広い、がっしりとした体格で、チラッと見たときは堂々たる力士を思わせたが、その顔に目をやったとき、わたしはハッとした。眉毛の端から頰にかけて刻まれた一本の傷あと、
Author: 馬烽 え·陳玉先 Year 1978 Issue 7 PDF HTML
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10. 出札口 (上)
一去年の三月、他省での取材をおえ、汽車で新聞社へ帰る途中のことである。混み合った車内で、わたしはやっと空席を一つみつけた。向かい側の席には、農民らしい中年の人が二人で何やら相談していた。聞くともなく聞いていると、西安で下車してから、戸県へ行くその日の長距離バスに乗れるかどうかを心配しているのだった。「それなら、午後二時にバスがありますから間に合いますよ」と窓ぎわの座席からとつぜん声がした。二十四、
Author: 莫伸 え·陳玉先 Year 1978 Issue 10 PDF HTML