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Your search : [ author:杜葆仁 韓瀚] Total 37 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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1. 開かれた宝庫のとびら
等身大の武士俑五百三十体は、古代美術史の空白をうずめた。これは、中国を統一した秦の始皇帝の軍威を再現し、法家路線のもとで制作された世にもまれな作品である。紀元前二二一年は中国古代史にとって特筆すべき年である。この年に新興地主階級の代表者―秦の始皇帝は、歴史の流れにそい、人民の力を借りて数百年にわたった諸侯の混戦に終止符をうち、分裂·割拠の中国を、かれを先頭とする中央集権の政府のもとにはじめて統一し
Author: 杜葆仁 韓瀚 Year 1975 Issue 11 PDF HTML
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2. 彼はいつまでも人民とともに前進する
八月八日は不幸な日であつた。この日の朝はやく、死神が偉大な芸術家の生命を無情にも奪い取つた―梅蘭芳(メイランワアン)氏はこの世を去つた!中国人民は、当代の最もすぐれた芸術界の巨匠を失つたのである。五十余年らい、梅蘭芳氏は、唱と舞姿、労働と創造、すぐれた品性と汚れのない節操、おのが全生命をもつて、偉大な芸術家の歴史を数知れぬ人びとの心に刻みつけた。人びとは熟知の友のように彼を理解し、おのが肉親のよう
Author: 韓瀚 Year 1961 Issue 10 PDF HTML
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3. 園林にはいつてはじめて春を知子
休けい室での会話劇場の休憩室に腰をおろした私は、さきほど若手の俳優が演じたばかりの「遊園驚夢」[注释1]の感銘にひたつていた。その私のかたわらで、若者たちがさかんに感想をのべあつていた。「時代おくれで面白くないと思つて、昆曲など見向きもしなかつたが、今日見てこれならもつと早く見にきたらよかつたと思つたよ」「杜麗娘(トウリーニヤン)を演じた俳優はいただけるな、魅力がある」「園林に入らずにどうして春の
Author: 韓瀚 Year 1961 Issue 12 PDF HTML
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4. あす女性エンジニアの話
解放まえに、社会的な悲劇のヒロインとして校門を出たかの女は、こんにちまた母校にもどってきた。昔の学びの庭をたずねて懐旧の情にひたるためではない。かつてかずかずの悲劇をつくりだしたこの学園において、新中国の社会主義工業の建設者という新しい世代の人間を養成するために……。査礼冠(チヤリークワン)は楊秀珍(ヤンシユウチエン)という学生といっしょに職員室から出て、花壇のあいだの歩道をあるいていた。査礼冠の
Author: 韓瀚 Year 1962 Issue 7 PDF HTML
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5. 古柯庭のつどい
古柯庭の朝中日の書家が北京(ペイチン)で一堂に会したのは、古柯庭(クーコテイン)という、北海(ペイハイ)公園の奥まったところにある庭園だった。庭は奥行きがあって、建物がある。また太湖石の石組があり、そばに細竹の植え込みがある。ほかに、えんじゅの古木がいっぽん立っている。唐の時代に植えられたという語りつたえがあるから、事実だとすれば、すでに千何百年の寿命をたもっているわけだ。濃褐色の幹は古銅器のよう
Author: 韓瀚 Year 1962 Issue 8 PDF HTML
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6. 『青春の歌』の作者楊沫さんをたずねて
小説『青春の歌』をよんだり、映画「青春の歌」をみた人びとは、主人公林道静(リンタオチン)の運命にこころをうたれたことでしょう。それにしても、作家楊沫(ヤンモー)さんはどんな生い立ちの人か、作家としてどんな道をたどった人か、いまどんな生活をし、何を書いておられるか。そうした読者の疑問にこの訪問記はこたえるでしょう。どこかに農村婦人らしい気性白楊の木の間をとおしてこぼれる朝の日ざしに、鏡のように静かな
Author: 韓瀚 Year 1962 Issue 12 PDF HTML
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7. 人形づくりの鄭さん
本号付録のカレンダーを手にしてまず、デザインの人形に目をひかれるであろう。誇張した造形、あざやかな色彩、強い地方色の、みるからにほおえましい作品である。これらの人形は、いずれも二十代の青年彫塑家たちによってつくられたもの。ここに、そのうちのひとりである鄭于鶴さんの生い立ちを紹介しました。ことし二十八歳の鄭于鶴(チヨンユイホー)さんには、人をおどろかせるような過去はない。いってみれば、ごくありふれた
Author: 韓瀚 Year 1963 Issue 1 PDF HTML
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8. 永遠に若い郭沫若氏
郭沫若氏は今年七十一歳であるが、もうずっと前から「郭老」とよばれている。もちろんこれには尊敬の意味もこめられている。わたしはこれまで郭老にお会いしたことはなかった。けれど郭沫若の名はあまりにも耳なれた名前で、その日常生活から気質から音容、挙止にいたるまですべてを知りつくしているような気でいた。そういう感じをいだくのは、わたしだけではあるまい。かつて、『女神』のはげしい情熱に心内の火をかきたてられた
Author: 韓瀚 Year 1963 Issue 3 PDF HTML
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9. 六月の中国
いつにはじまったものかは知らないが、中国人は六月とはすの花を縁組みさせて、六月を〈荷月(ホーユエ)〉(荷花は蓮花の中国名)とよぶようになった。はすの花は長い柄をぬきんでて立っているさまが花のなかの君子に似ているといって愛されているが、たいてい六月に花をひらくので、この花を愛するものは六月という月をも愛するようになった。もう相当に暑い季節だが、この人たちははすをもとめて外に出る。そしてはす池のほとり
Author: 韓瀚 Year 1963 Issue 6 PDF HTML
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10. 映画「揚家の女将軍たち」に出た新人たちの話
甕を使ってノドを鍛える若手の輩出する京劇界でもひときわ目立っているのは映画「楊家の女将軍たち」で穆桂英(ムークイイン)を演じた楊秋玲(ヤンチユウリン)で、そのノドのよさ、歌のうまさには定評がある。よくとおる柔軟な歌いぶりには役柄の感情がこもっていて深い味わいがある。映画「楊家の女将軍たち」の好評も、楊秋玲のノドに負うところが多いといってよい。ところが、このすばらしい楊秋玲のノドは甕できたえたという
Author: 韓瀚 Year 1963 Issue 7 PDF HTML