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Your search : [ author:杜葆仁 韓瀚] Total 37 Search Results,Processed in 0.137 second(s)
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11. 書道愛好者と筆をつくる人
中国には、「妙筆生花」ということばがある。これは、詩や文にたいしていうことばだが、書にもあてはまる。良い筆は、達筆の人の手にとられると、思うがままに動き、妙趣を生み、さわやかな字をのこす。その筆の良否を決定するのは筆を作る人の腕次第である。だが、筆を使う人によって左右されもする。というわけで、蘇州毛筆工場では、数名の老書道家と若い書道愛好者を「濯纓水閣」にまねいて、筆を試してもらった。「濯纓水閣」
Author: 韓瀚 Year 1973 Issue 1 PDF HTML
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12. 河南省の画像石と碑
日本の友人たちは、桜の花の咲くこの四月、画像石と石碑の拓本展をごらんになるだろう。この展覧会に展示される拓本は中国の河南省から運ばれる。河南というのは、黄河の南に位置するところからつけられた名である。黄河の流域は古代中国文化の揺籃の地であった。史料の記すところによると、中国史上、少なくとも十余の王朝が河南省に都をきずいた。だが、奴隷主であろうが封建君王であろうが、かれらは人類文明の創造者ではない。
Author: 韓瀚 Year 1973 Issue 4 PDF HTML
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13. 栄宝斎の木版水印画
わたしの部屋の壁には、故傅抱石画伯のえがいた江南風景がかかっている。訪ねてくる友人はみな、この絵について一言する。なかなかすっきりした絵だという者もいれば、春の感じがよく出ているという者もいる……。だが、この絵は傅画伯がえがいた原作ではなくて、複製なのである。しかし、とくに説明をくわえないと、ほとんどの人が画伯の原作だと思うだろう。それはべつに不思議なことではない。ある人が、某画伯のえがいた原作と
Author: 韓瀚 Year 1973 Issue 8 PDF HTML
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14. 中国の陶磁器(1)竜泉青磁(浙江省)
陶磁器がわれわれの生活と密接なつながりをもつようになったのはいつ頃のことであろうか。地下から発掘されたものによれば、中国では今から4000~5000年まえの原始社会に陶器のあったことは明らかである。 3000年前の奴隷制社会·殷の時代には、中国人の日常生活に初期の磁器があらわれている。三国(220~265年)西晋·東晋(265~420年)の時代になると磁器の焼成技術はいちおう円熟期に入った。 その
Author: 韓瀚 Year 1974 Issue 1 PDF HTML
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15. 筆底千花両国春
中村梅吉氏を団長、香川峯雲氏を副団長とする日本書道代表団は北京、西安、洛陽、蘇州、上海、杭州、広州などを参観、訪問した。旅程は約一万五千キロ、二十日にわたるこの旅で、一行はゆく先ざきでよい思い出を人びとにのこした。つぎにかかげる随行記の一部は、書道代表団の活動の断片を伝えるものにすぎない。寧寿宮で帖をみる―十一月七日 北京鳳の背に乗り飛びし心地にて今吾は踏む北京の土かも(金子鷗亭氏作)昨六日北京に
Author: 韓瀚 Year 1974 Issue 2 PDF HTML
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16. 景徳鎮(江西省)
その名の由来景徳鎮は江西省北部にある人口四十万たらずの小都市だが、中国の「磁器の町」として名高い。この景徳鎮でいつごろから磁器を焼くようになったのか。陶磁器の歴史をつづった本はいくつもあるが、それについての定説はみえない。六世紀中葉·南北朝の陳代のころからと言う説もあれば、唐代だという説もある。考古学関係者が景徳鎮で発見した五代のころ(九〇七~九六〇年)の多くの磁器破片をもとに考えると、少なくとも
Author: 韓瀚 Year 1974 Issue 2 PDF HTML
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17. 博山窯(山東省)
濃厚な民間的特色中国北部の山東省の村々では、ある種の質素な陶器がよろこばれている。その多くが黒の釉をほどこしたものである。その釉の中には青味をおびた黒もあり、それはカラスの羽の色をおもわせる。また、赤味をおびた黒もあり、それは雨あがりの虹を連想させる。食事に用いる碗、農民が野良にもってゆく土びん、漬ものやスープを入れる器、馬車にそなえつけてある潤滑油を入れる瓶など、そのすべてが黒の釉をかけた陶器だ
Author: 韓瀚 Year 1974 Issue 3 PDF HTML
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18. 汝窯と鈞窯(河南省)
宮廷用から民用に河南省の省都―鄭州のある食堂で食事をとった。ちょうど晩春の頃だったから、食堂の窓ぎわにおかれた鉢植えのカイドウが美しい花をつけていた。その植木鉢の形はみるからに堂々としていた。鉢の縁にはヒマワリの花が型どられ、色はバラ色だった。かけてある紬はとても厚く、流動感がある。よく見ると、釉にはゴマのような小さな斑文があった。「河南省の鈞窯の製品ですよ」と、服務員が河南なまりで教えてくれた。
Author: 韓瀚 Year 1974 Issue 4 PDF HTML
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19. 黄山
「黄山より帰り来たれば五岳を見ず」明時代の中国に、徐霞客という地理学者がいて、その足跡は全中国におよんだ。かれは幾多の名山を踏破し、こんな結論をくだした―「五岳より帰り来たれば山を見ず、黄山より帰り来たれば五岳を見ず」「五岳」とは、泰山、華山、衡山、恒山、嵩山の有名な五山を指す。徐霞客は、五岳が最も傑出していると思っていたのだが、黄山に遊んだら、五岳に遊ばなくてもよいと思うようになった、といってい
Author: 韓瀚 Year 1978 Issue 2 PDF HTML
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20. 磁州窯
ある外人の驚きなが年北京に住んでいる外人の友だちからお茶に招かれた。彼は陶磁器のマニアだから、きっとまたなにか新しい掘り出し物を私に見せるつもりなのだろう。彼はお茶をいれ、一杯注いで差しだした。私が一口味わって茶わんを置くと、「いかがです、あなたも良いと思われますか」と急須を指した。私は彼がお茶の品定めを求めているのかと思ったので、「碧螺春ですね。味が大変すっきりしていますから、きっと新茶でしょう
Author: 韓瀚 Year 1979 Issue 1 PDF HTML