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Your search : [ author:杜葆仁 韓瀚] Total 37 Search Results,Processed in 0.095 second(s)
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31. 当陽峪窯
名磁残る古戦場太行山中を二、三日転々としたが、来る日も来る日も山越えで、実のところ、少し疲れた。地元のガイドの高さんが、ぜひ一日、わたしのところで休んでくださいと言ってきかない。高さんの家は山中ではめずらしい平地に建っている。そこは、かつて宋代に、農民一揆軍が活躍したところで、一揆軍は四面山の地形を利用し政府軍を相手どって一大決戦を交えたという。わたしは行ってみることにした。その晩、夕めしのときに
Author: 韓瀚 Year 1979 Issue 12 PDF HTML
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32. 輝県の大きな変化
河南省の北部にある輝県は、有名な民間伝説「愚公山を移す」のふるさと―太行山脈のふもとにある。この県の面積は2000余平方キロだが、そのうちの七割が山地だ。かつてこの地方は耕地が少なく、土地がやせて水が不足し、他の地方との交通がとざされていた。そうしたことから生産面で立ちおくれた、貧しい県として有名だった。 新中国誕生後の二十数年間、とりわけプロレタリア文化大革命いらい、毛沢東思想にみちびかれたこの
Author: 韓瀚 侯鈺鑫 Year 1974 Issue 11 PDF HTML
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33. 新時代の老画家
有名な画家が生活に困り、綿入れをぬいで質屋ののれんをくぐつたという話がある。もちろん、旧い中国での話である。だが、いまでは、そうした老画家たちも、生活が安定し、各自の才能を十分にのばす条件にめぐまれている。この人たちは、中国の大都市に設けられている画院で、民族絵画の伝統をふまえつつ、新しい時代をえがき、新人の養成に力をいれている。現代の中国人は、歴史から、中国画という人類芸術のなかのとうとい遺産を
Author: 韓瀚(ハンハン) Year 1963 Issue 10 PDF HTML
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34. 友好の歴史を書きつづけよう
日本人民の深い友情と東京、京都、奈良、福岡、札幌などに住む古くからの友人、新しい友人のよき思い出をたずさえ、中日両国人民の友好事業をさらに発展させるゆるぎない信念をもって、中国出土文物展覧代表団の王冶秋団長らの一行が北京に帰ってきた。王冶秋団長、団員の宿白、史樹青、郭労為の諸氏は、故宮の中にある浴徳堂という雅致にとむ応接室で、訪日の感想を記者に語った。日本人民は二千年にわたる中国との友好往来の歴史
Author: 本誌記者 韓瀚 Year 1973 Issue 10 PDF HTML
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35. “命のあるかぎり人民のためにつくす”
負傷してから三十六年もまえのことである。河北省成安県の県境で、八路軍某部隊は日本侵略軍と激戦を交えた。そのさい、黄金科という若い戦士が重傷を負った。黄金科は、後方の病院に送られて手当をうけた。傷がよくなるにつれて、一日もはやく前線に戻り戦いたいという気持がつよくなっていった。だが、長期にわたる治療と休養が必要で、退院してもふたたび前線にはゆけない、と軍医から言い渡された。それを聞いて黄金科は悩んだ
Author: (本誌記者 韓瀚) Year 1975 Issue 12 PDF HTML
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36. 郭沫若老と「人民中国」
中国では、郭沫若氏のことをだれもが郭老(グオラオ)とよんでいる。それは氏に対する尊敬と親しみのあらわれなのだ。郭沫若の名はわれわれ現代中国人の心中に、感激、豪放、そして火のような熱情を想起させる。郭老に会っていると、その話がのどかな座談だろうと、あるいは深遠な議論であろうと、どんな場合でも、それはわれわれを啓発し、われわれの心をわきたたせてくれるのである。郭老に会ったことのある本誌編集部の面々は、
Author: 本誌記者 韓瀚 Year 1978 Issue 10 PDF HTML
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37. 今日のチベット―封建農奴制からいっきょに社会主義へ
一九七五年九月九日は、チベット自治区成立十周年にあたる。チベット族人民のこのよろこばしい日をまえにして、記者はチベット高原を訪れ、取材した。その間、一代目の労働者、農民、解放軍戦士、牧畜民、少数民族出の幹部、教師、医師、科学者、俳優と僧侶などチベット族の人びとと広く接した。かれらは、それぞれの角度から自分たちの過去と現在について語り、かれらが先祖代々住んできた土地で生じた大きな変化について聞かせて
Author: 本誌記者 李要武 韓瀚 張嘉斉 Year 1975 Issue 8 PDF HTML