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Your search : [ author:本誌記者 車慕奇] Total 345 Search Results,Processed in 0.165 second(s)
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1. 出立を前にして
わたしの机の前に「飛燕をしのぐ馬」と題する長さ一·五メートル、幅一メートルのカラー写真がかかっている。深夜、読書に疲れた時などに西域を奔放に駆けめぐり、今にも空を飛びそうなこの駿馬の勇ましい姿に目をやると、あのシルクロードへの様ざまな想いが浮かび上がって来る。西域の駿馬「飛燕をしのぐ馬」というのは、一九七二年、甘粛省武威県の東漢の古墳から出土した銅の馬である。三本の脚が空をけり一本の脚が燕の上に乗
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 1 PDF HTML
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2. 生きた歴史博物館
古文明のシンボル西安のあるデパートの絹製品売り場では、華やいだ笑い声のなかで、ヨーロッパの女性グループがあれこれ品定めをしていた。きらびやかな錦織りを肩に掛けてみて、夫の意見を求めているものもおれば、柔らかな手ざわりのよい絹製品をさすりながら、しきりとほめている人もいた。この五、六人の女性たちはかなりの絹織物を買い求めていった。なかでも二〇メートルも買った婦人は「フランスに帰ってから友だちに上げれ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 2 PDF HTML
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3. 古代の国際都市―長安
一九五〇年代の始め、私は旅行の途中、西安に立ち寄ったことがある。ちょっとかいま見た程度のものだが、その時の印象はあまりよくなく、うらぶれた小さな都会といった感じであった。南の城門から歩いても二時間位で北の城門に着き、城門を一歩抜けると農村で、街の通りも狭く、緑樹はほとんど見かけなかった。あれから五年たった今、ふたたび西安を訪れたが、前回とは異なり、離れがたい思いにかられて、西域へ出発する日程を二、
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 3 PDF HTML
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4. 西行の絶景―麦積山石窟
西安を発ち、渭河の渓谷ぞいに西行する。急流が時には車窓の左を、時には右を走る。狭く深い渓谷のかたわらを小径がどこまでも続く。濁流とそれに沿う小径を眺めて、ふと思った。「これは唐代の高僧玄奘が経巻を招来するため西行したとき通った道ではなかろうか。漢代の張騫(ちようけん)が西域へ向う途中、馬に水を飲ませたのはこの河ではなかろうか」列車はいくつものトンネルを抜け、鉄橋を渡り、渓谷をめぐるようにして登って
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 4 PDF HTML
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5. 黄河越え
シルクロードの東の部分は甘粛省を横切る黄河に切断されているので、古人は長安を発って西域に向かうのに、黄河越えをしなければ、西域に通ずる帯状のオアシス地帯―河西回廊に入ることができなかった。私は汽車で西安を発ち、天水を経て甘粛省の省都蘭州に着き、そこから黄河を渡り河西に向かった。しかし、漢や唐の時代の人が西行する場合は今の鉄道や道路の路線を通ったわけではない。蘭州に着いてから、私は歴史地理の研究者に
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 5 PDF HTML
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6. 河西回廊に入る
蘭州から西に向かう蘭新鉄道の車窓から、流れ去る景色をむさぼるように見ていた。どこまでも澄みわたる空の、何という青さ。点々たる白楊樹はすでに黄ばんだ秋の装いで、空の青に思いきり身をのばしている。木々の向うの遠い山なみの、まろやかでありながら、どっしりとした姿に安らぎを覚える。砂礫と卵石をしきつめた限りない大地は、荒っぽくもあれば豪快でもある。初めて河西回廊に入って、何となく西北奥地の風光が判ったよう
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 6 PDF HTML
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7. 祁連山と胭脂山のふもと
隋の煬帝(ようだい)の西行巡遊隋の煬帝が江南に下(くだ)った話は中国でよく知られている。豊かにめぐまれた江南に遊ぶため、煬帝は黄河、淮(わい)河、長江をむすぶ運河の開削を命じ、みずからは四層の竜舟(天子の御船)に乗りこみ、后妃、王公、僧尼、百官、侍従など十万から二十万人をともない、みやこ洛陽から威風堂々と江都(いまの揚州)に南下した。途上、数千艘の船は首尾相接し延々と長さ百キロにおよんだ。煬帝はま
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 7 PDF HTML
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8. 黒水河畔から嘉峪関へ
唐の詩人白居易(楽天)は、ある筆禍事件に連座して、九江(江西省)の司馬に左遷され、翌年秋、湓浦口(ぼんほこう)(九江府城の西にある。別名は盆水)に友人を送ったところ、夜船中から妙なる琵琶の音が聞こえ、みやこの調べがあるのを不思議に思い、そのぬしを尋ねると、もとは長安の妓女であり、穆(ぼく)、曹(そう)の二善才に琵琶を学んだが、年長じ色衰えるに及び商人の妻となり、いまは零落の身を異郷に過ごしていると
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 8 PDF HTML
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9. 三関行―嘉峪関、玉門関、陽関
「天下第一の雄関」万里の長城の東端、渤海湾(ぼつかいわん)に臨む山海関には、「天下第一関」の額がかかり、万里の長城の西端、ゴビ砂漠に位置する嘉峪関には、「天下第一雄関」の額がある。後者の方が「雄」の字だけ多いが、この二つの「関」は共に「天下第一」を称している。古人は、「天下第一」という言葉を名勝の賞め言葉として常用した。それ自体、さして責める気もしないが、「天下第一泉」とか、「天下第一橋」とか乱用
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
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10. 莫高窟とシルクロード
敦煌の県城に着いた晩、常書鴻敦煌文物研究所所長に電話し、先に陽関と玉門関を見に行き、帰ってから莫高窟を再訪するむね伝えた。受話器から、やわらかな落着いた声が戻ってきた。「よくいらっしゃいました。まだ撮影するのですか。もう敦煌の別册は出したのに」「いえ、今度は敦煌芸術とシルクロードの関係を知りたいと存じまして……」莫高窟再訪一九七五年、私とカメラマンの狄祥華さんは莫高窟の精彩ある壁画、塑像に魅せられ
Author: 本誌記者 車慕奇 Year 1979 Issue 10 PDF HTML