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Your search : [ author:文と写真村山孚] Total 11 Search Results,Processed in 0.083 second(s)
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1. 中国考古学の揺藍―殷墟
新中国の誕生いらい、ちょうど三分の一世紀。この間における目ざましい考古学上の成果は内外の関心を集め、本誌に対しても日本の読者から、発掘や研究の成果を分りやすく伝えてほしいとの要望がしばしば寄せられている。そこで、昨年、「北京新歳時記」の連載で好評を博した元本誌編集委員村山孚氏を煩わし、本号から中国各地の発掘遺跡ルポをお送りする。第一回は、知られているようで知られていない「殷墟」の現状である。安陽ま
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 3 PDF HTML
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2. 長沙馬王堆漢墓 二千年前の女性はこうして発掘された
もう、あれからほぼ十年になる。一九七二年(昭和四七年)七月末から八月にかけ、日本の各新聞は「中国湖南省長沙市郊外の馬王堆で、約二一〇〇年前(西漢前期)の古墳が発掘され、女性の死体がほとんど完全な形で発見された」という北京発のニュースを伝えた。「驚異の保存状態」「みずみずしい弾力性保つ」の見出しとともに遺体のカラー写真も紙面を飾った。おりから、日中国交回復の機運が盛り上って首相の中国訪問が準備されて
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 4 PDF HTML
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3. 泉州湾 七百年前の沈没船
マルコ·ポーロもここを…中国は“大陸国家”ということになっているが、海岸線の長さは一万八千キロもあり、台湾島と海南島の海岸線も加えると二万キロ以上になる。まわりがみな海で海岸線が二万六千キロという日本におとらぬ“海洋国家”でもあるわけで、海洋交通の歴史も古い。一九七四年、福建省の泉州湾で、七百年前の外航木帆船がそっくりそのままの姿で発掘された。泉州市には、海外交通史博物館という珍しい博物館があり、
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 5 PDF HTML
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4. 戦国の夢のあと楚都「紀南城」
注目を浴びる「楚文化」考古学的発掘というのは元来そういうものなのだろうが、とくに中国のそれは、いつ、どこで、どんな大物が出てくるかわからない。その意味で、“注目株”の一つが「楚文化」の遺跡であろう。楚は、春秋戦国時代、長江(揚子江)の中流平原に栄え、ついには華中一帯を支配するに至ったが、紀元前二二三年、秦の始皇帝によって滅ぼされ、八百年の歴史を閉じた国である。従来、中国の古代文化はもっぱら黄河流域
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 6 PDF HTML
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5. 七千年前の稲作が発見された 河姆渡遺跡
杭州湾南岸の明と暗昨年の九月はじめ、杭州から寧波行きの列車にのった。寧波市の西約二五キロのところに、新石器時代の河姆渡(かばと)遺跡がある。正確にいえば浙江省寧波地区余姚県羅江人民公社東方紅大隊河姆渡村。ここで一九七三年いらい、七千年前までさかのぼる集落跡が発掘され、しかもおびただしい籾(もみ)の堆積までが出土しているのだ。中国の新石器時代の歴史を大きく書きかえた、その現場を、この目で見てみようと
Author: ■文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 7 PDF HTML
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6. 周から唐に及ぶ千百二十年間の古都 西安その一
長安への旅は長かった明治三十九年(一九〇六)二月十六日、ひとりの日本人が神戸港出帆の汽船で西安に向かった。清国政府に招へいされ、陝西高等学堂の数学教師として赴任する足立喜六、東京高等師範学校卒業の静岡県人である。足立は上海で長江汽船にのりかえて漢口に至り、数年前に開通したばかりの京漢鉄路で正鄭州についた。ここで数日間仕度を整え、三月十一日ロバで西に向かった。そして洛陽、函谷関、臨潼の道筋を経、三月
Author: ■文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 9 PDF HTML
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7. 盗掘者も歯が立たなかった則天武后の墓西安その二
盗掘のチャンピオン日本人も記録することが好きだが、中国人の記録好きはまさに歴史的なもので、たとえば北京の故宮には、清朝皇帝の食事のメニューなども克明に記録したものが残っているそうだ。まして人間に関する記録はきわめて詳細、かつ多面的で、西暦紀元前の歴史書である『史記』には、遊俠の徒から皇帝寵愛のオカマの伝記まで入っているほどだ。代々の正史に「人物伝」が編まれているのも大きな特徴で、善悪いずれにせよ強
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 10 PDF HTML
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8. 『史記』の舞台を訪ねて
まず、おわびをしなければならないことがある。それは、この連載の題名のことだ。実は、この題名は、私が四つか五つの案を思いつき、編集部にその中から選んでもらったものである。われながら、いい題名だなと思っていたのだが、つい先日、ほとんど同じ題名の本が出ていることを知った。樋口隆康著『古代中国を発掘する』(新潮選書)である。たまたま、先日、東京の本屋の棚で樋口先生のこの本をみつけた。いい気なもので、てっき
Author: 文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 11 PDF HTML
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9. 永楽宮壁画はこうして移築された
エジプト古代神殿の移築にも匹敵文化財保護と経済建設とは、親友でもあれば仇敵でもあるというまことに複雑な関係だ。つまり、建設工事がきっかけで地下から思いがけない出土品や遺構が出てくることがあるという意味では、仲のいい友人である。だが同時にまた、建設工事のために遺跡も犠牲にしなければならない場合もあるという点では敵味方である。この矛盾をどう解決するかというのは、どこの国でも頭の痛い問題であろう。エジプ
Author: ■文と写真 村山孚 Year 1982 Issue 12 PDF HTML
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10. 石鼓と玉甕が語る北京の八百年
金の時代(一一八九年)に作られた蘆溝橋で一年近くおつきあいをいただいてきたこの連載も、今回で終了することとなった。殷墟、楚都江陵、長沙の馬王堆、泉州の古船、河姆渡、洛陽、西安、永楽宮……と一めぐりしたが、やはり、三千年の歴史をもつ北京をはずすわけにはいかない。で、最終回は、首都北京の考古にまつわるトピックを紹介させていただく。フビライ遺愛の酒がめまず一つの石甕(がめ)の物語からはじめるとしよう。北
Author: 文と写真村山孚 Year 1983 Issue 1 PDF HTML