長安への旅は長かった明治三十九年(一九〇六)二月十六日、ひとりの日本人が神戸港出帆の汽船で西安に向かった。清国政府に招へいされ、陝西高等学堂の数学教師として赴任する足立喜六、東京高等師範学校卒業の静岡県人である。足立は上海で長江汽船にのりかえて漢口に至り、数年前に開通したばかりの京漢鉄路で正鄭州についた。ここで数日間仕度を整え、三月十一日ロバで西に向かった。そして洛陽、函谷関、臨潼の道筋を経、三月...
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長安への旅は長かった明治三十九年(一九〇六)二月十六日、ひとりの日本人が神戸港出帆の汽船で西安に向かった。清国政府に招へいされ、陝西高等学堂の数学教師として赴任する足立喜六、東京高等師範学校卒業の静岡県人である。足立は上海で長江汽船にのりかえて漢口に至り、数年前に開通したばかりの京漢鉄路で正鄭州についた。ここで数日間仕度を整え、三月十一日ロバで西に向かった。そして洛陽、函谷関、臨潼の道筋を経、三月...