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Your search : [ author:蓋培 史石] Total 112 Search Results,Processed in 0.089 second(s)
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81. 出てきた古代名酒 地下に眠って二千年
「おや、ばかに重いぞ」中山国遺跡のうち、もっとも規模の大きい?(シ)王の墓(「一号墓」と命名)の発掘がヤマ場にさしかかった昨一九七八年のことだ。棺のおかれた椁室の両側に、耳庫といわれる地下倉庫が三つ発見され、その二つには、おびただしい銅器がほぼ完全な形で保存されていた。もちろん土に埋もれ、重なりあい、横だおしになっていたが、盗掘者の手は及んでいない。隊員たちは、その原状を記録したのち、ひとつひとつ
Author: 春清 史石 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
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82. 古代の人文·自然科学
『詩経』―中国最古の詩集燁燁(ようよう)たる震電(しんでん)は 寧(やす)からず令(よ)からず 百川(ひやくせん)は沸騰(ふつとう)し 山冢(さんちよう)は崒(そつ)として崩(くず)れ 高岸(こうがん)は谷となり 深谷(しんこく)は陵(おか)となる(大意
Author: 福元 史石 Year 1979 Issue 9 PDF HTML
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83. 秦の統一とその崩壊
中国最初の封建皇帝秦の中国統一紀元前二二一年は、秦が全国を統一した、中国の歴史できわめて重要な年である。周の平王が陝西省の鎬京から河南省の洛邑(いまの洛陽)に遷都したのが紀元前七七〇年で、この年から前二二一年までの五百五十年間を春秋戦国時代という。この間、周王朝は衰微の一途をたどり、諸侯は割拠して、強国間に覇を争う抗争が続いていた。そして、中原に鹿を逐(お)う英雄、武将がつぎつぎと現れては消えてい
Author: 従雲 史石 Year 1979 Issue 10 PDF HTML
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84. 漢代·長城の内と外
冒頓単于(ぼくとつぜんう)の出現―三百年間漠北を荒した匈奴現在の万里の長城は民族団結の象徴であり、中国の力量を示すしるしでもあるが、遠く歴史を回顧してみた場合、それは北方各民族の悲喜離合をめぐる逸話の検証物でもあろう。両漢時代(紀元前二〇六~紀元二二〇年)の歴史的エピソードと言えば、主に匈奴と漢族の間につぎつぎに出現してくる風雲児たちの命運を伝えたものである。匈奴は中国の北方にあった古い民族で、河
Author: 戈揮 史石 Year 1980 Issue 3 PDF HTML
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85. 西晋王朝の半世紀
三国時代に、東にあった東呉と西の山間に居をかまえていた蜀漢は連合して、中原に雄を称えていた曹魏と半世紀近くのあいだ、対立をつづけてきた。だが、暗愚な蜀王劉禅が曹魏に下り、「楽しみて蜀を思わぬ」亡国の君主となった。とたんに、東南にあった呉国は孤立し、はや風前の灯となった。蜀は亡び、呉は危うしというなかで、魏都洛陽では「禅譲」、つまり王位の譲渡という事件が起き、政権は曹氏からあっさりと司馬氏の手にわた
Author: 福元 史石 Year 1980 Issue 8 PDF HTML
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86. 東晋と「十六国」の百年
「王·馬ともに天下を治める」―南北豪族にささえられた東晋王朝紀元三一六年、西晋の愍(びん)帝は玉璧を口にふくんで匈奴の劉聰に降服し、翌年征服者にさんざん辱しめられたすえ、殺された。この知らせが建鄴(けんぎよう)(今の南京市)につたわると、江南地方の鎮守にあたっていた晋の王族·司馬睿(えい)はたいへん悲しみ、使いを送って愍帝のひつぎをひきとり、その陵をつくった。そしてすぐに晋の元帝として王位を継ぎ、
Author: 福元 史石 Year 1980 Issue 9 PDF HTML
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87. 南北朝 大分裂の時代(上)
南朝と北朝は中国の歴史上において、東晋と十六国にひきつづいておこった南北大分裂の時代で、四二〇年から五八九年まで百七十年つづいた。中国の北方では、前秦と晋のあいだの淝(ひすい)水の戦い(三八三年)のあと、半世紀にわたる分裂の局面がつづき、そのご四三九年、中国北方は北魏王朝によってふたたび統一された。北魏は百年近い統一を保ったのち、東魏と西魏とに分裂し、この東魏と西魏はそれぞれ北斉と北周にとって変わ
Author: 福元 史石 Year 1980 Issue 10 PDF HTML
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88. 南北朝 大分裂の時代(下)
西晋は匈奴にほろぼされ、漢族の司馬氏の政権が江南に拠って東晋とよばれた。この間は、匈奴、羯、氐、羌、鮮卑慕容部といった諸族が百二十余年にわたって中原(中国の中央部、黄河の中流から下流にかけての地域)で覇を争い、動乱の時世がつづく。つまり、五胡十六国分立の時代である。この争いで最後に勝ちのこったのは、原始社会から脱却したばかりの鮮卑族拓跋部であった。鮮卑族拓跋部は、その勇猛さにたよって中国北方の大地
Author: 福元 史石 Year 1980 Issue 11 PDF HTML
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89. 魏晋南北朝時代の科学者
四百年近くつづいた魏晋南北朝(二二〇~五八九年)の時代は戦乱にあけくれ、中国の大地は分裂という局面におかれていたが、こうしたきびしい条件のもとでも科学と生産は発展した。全般的にみて生産は低下することなく、また科学の面でもかなりの成果をあげたのである。この時代の科学面の成果のなかには、人類の知恵の結晶としていまも世界の科学史に記されているものが少なくない。指南車の故事―曹魏の機械考案者馬鈞馬鈞は曹魏
Author: 福元 史石 Year 1980 Issue 12 PDF HTML
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90. 仏教の全盛期
中国に仏教が伝わったのは、前漢(紀元前二〇六~二四)の末期から後漢(二五~二二〇)の初期にかけてのことだといわれる。魏·晋の時代(二二〇~四二〇)になると仏教は中国の大地に根をおろしはじめ、つづく南北朝(四二〇~五八九)では各地にその影響をひろめていった。こうした仏教の伝播は、中国在来の伝統的な観念や宗教とのあいだにするどい矛盾·対立をひきおこした。南朝では唯物論者范縝(四五〇~五一〇といわれる)
Author: 福元 史石 Year 1981 Issue 9 PDF HTML