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Your search : [ author:蓋培 史石] Total 112 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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91. 白玉の簋(き)
カラー参照中国の股代の文化といえば、青銅器がすぐれていることで世に知られているが、その青銅器と匹敵するすばらしい玉器があることを知っている人は、残念ながらあまり多くない。一九七五年、殷墟(河南省安陽市西北郊外)であまり大きくない墳墓が一つ発見されたが、その棺槨の内外には精緻な玉器七五五点、宝石器四七点が置かれていて、さながら玉器の宝庫の感があった。表面についた汚れを拭い取ると、宝玉は本来の美しい姿
Author: 蕭璞史石 Year 1982 Issue 1 PDF HTML
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92. 朱の斑点のある玉臼と玉杵
カラー参照臼(うす)、杵(きね)といえば、日常よくみかける用具である。薬店では薬をつくのに、農家では米つきに使うのに、昔も今もかわりがない。が、今月の古文物欄に紹介する玉臼(きゆう)(高さ二三·二センチ、口径一六センチ)と玉杵(しよ)(長さ二八センチ、径七センチ)は、薬をくだくものでもなければ米をつくものでもない、それは、書道、絵画、染絹用などに使う朱砂をすりつぶすものである。なぜ朱砂をすりつぶす
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 2 PDF HTML
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93. 黒緑玉彫臥牛
カラー参照牛を飼うことは殷代でも、かなり普及していた。家を建てるとき、いしずえに牛の頭を埋める風習があったし、占いにも牛の肩胛骨をたくさん使った。牛車を発明したのは殷の王亥と伝えられ、かれを祭るために、子孫の殷人たちは、一度に四〇頭もの牛を使ったという。牛は、殷人の現実の暮らしにかなり重要な地位を占めたので、芸術上の造型や紋飾にも多くの牛の形象が使われた。中でも青銅牛鼎、司辛石牛が有名である。ここ
Author: 蕭璞史石 Year 1982 Issue 4 PDF HTML
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94. 乳白玉彫燕雛
カラー参照竜と鳳(おおとり)とはふしぎな伝説的動物であるが、実際、それらは原始氏族社会でトーテムとして崇拝されたらしく、竜は原始夏民族のトーテム、鳳は原始殷民族のトーテムであったという学者もいる。しかし、その問題に結論をくだすまえに、まず今月号の古文物グラフに紹介した玉彫の燕の雛(ひな)を見ていただきたい。これもこの問題と関係があるのだから。この雛は、羽毛がまだ充分はえていず、卵から出たばかりで、
Author: 肅璞 史石 Year 1982 Issue 5 PDF HTML
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95. 玉彫双馬
カラー参照玉彫双馬は、殷代武丁の王妃、婦好のアクセサリーの一つであった。それはきわめて精巧なもので、しっぽの斜面に刃をたててあるので小刀として使える。長さは二匹とも六·三センチ、高さは一匹が三センチ、もう一匹は二·九センチである。この双馬は、馬をかたどった芸術品としては、さしあたって、世界で最も古いもの。俗に「牛は田を耕し、馬は車をひく」というが、殷の頃、すでに牛に田畑を耕させたとしてもはたして馬
Author: 肅璞 史石 Year 1982 Issue 6 PDF HTML
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96. 宋文壇の双璧
中世紀の文壇をみてみると、唐代には多くのすぐれた詩がつくられ、詩の黄金時代だった。そのご、五代、北宋、南宋では詞がさかんになり、また蒙古―元が、中原(当時の中国中央部)に勢力を伸ばすようになると、戯曲が文壇で優位を占めるようになる。宋詞、元曲は、唐詩とならんで中国古典文学史上の三大明星といえよう。宋詞と元曲は、その作者と作品の多いことで知られている。後世に名を残したものだけでも、宋詞の作者は一千三
Author: 福元 史石 Year 1982 Issue 7 PDF HTML
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97. 竜形玉玦―「竜飛鳳舞」のはじまり
カラー参照原始殷民族は玄鳥(鳳凰)を崇拝したが、しかし殷王·武丁の王妃·婦好はそれよりも竜を好んだようである。事実、婦好墓から出土したおびただしい玉器のうち、玉鳳は一点しかなかったが、玉竜は一八点もあったことをみても、この女将軍の偏愛ぶりがわかる。今月号にご紹介した浮彫の竜形玉玦もそのひとつである。直径六~六·三センチ、厚さ〇·五センチ、形は壁に似るが、一部分は欠けている。これをなぜ玦(一部分の欠
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 7 PDF HTML
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98. 玉援銅内戈
カラー参照戈(カ)(ほこ)といえば、長い歴史をもつ古代兵器の一つである。漢字の中の戦役と兵器にかかわりのあるものには、ほとんど旁(つくり)として「戈」がついている。たとえば「戦争」の「戦」や、「征伐」の「伐」がそうであるし、石器時代の石斧(おの)から発達した古代兵器の「戉」(鉞(えつ)の古字、まさかり)、また「戚」(せき)(まさかり、戉より小さい)にも「戈」の旁がついている。このことは、「戈」の生
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 9 PDF HTML
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99. 婦好墓の石觶
カラー参照酒は人を陶酔させ、人類の物質生活を豊かにするばかりか、精神文明にも光彩をそなえている。つまり、酒は人に徳をもたらすという考え―一種の酒徳論が古くからある。魏晋の劉伶(竹林の七賢のひとり)がその代表であり、かれは酒を大いにたしなみ、「酒徳頌」という論文まで著わした。その頌碑はいまでも彼の墓前に立っている。盛唐の詩人李白も酒仙であった。詩が泉のごとく湧き出て、後世に不滅の名を残したのも、ひと
Author: 蕭璞 史石 Year 1982 Issue 11 PDF HTML
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100. 明·清の学術
中国の古代史で、学術研究の空気がもっとも濃く、思想交流がもっとも活発にすすめられたのは、春秋戦国時代(前七七〇~前二二一)だといえよう。「諸子百家」として知られる多くの思想家が、それぞれに独自の思想を展開した。そこで、春秋戦国時代は「百家争鳴」の時代ともいわれる。だが、この学術の黄金時代に継いでやってきたのは、秦の始皇帝の「焚書坑儒」(始皇帝が、丞相李斯のすすめにより、自分の政治を批判するもとにな
Author: 福元 史石 Year 1983 Issue 5 PDF HTML