中国の古代史で、学術研究の空気がもっとも濃く、思想交流がもっとも活発にすすめられたのは、春秋戦国時代(前七七〇~前二二一)だといえよう。「諸子百家」として知られる多くの思想家が、それぞれに独自の思想を展開した。そこで、春秋戦国時代は「百家争鳴」の時代ともいわれる。だが、この学術の黄金時代に継いでやってきたのは、秦の始皇帝の「焚書坑儒」(始皇帝が、丞相李斯のすすめにより、自分の政治を批判するもとにな...
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中国の古代史で、学術研究の空気がもっとも濃く、思想交流がもっとも活発にすすめられたのは、春秋戦国時代(前七七〇~前二二一)だといえよう。「諸子百家」として知られる多くの思想家が、それぞれに独自の思想を展開した。そこで、春秋戦国時代は「百家争鳴」の時代ともいわれる。だが、この学術の黄金時代に継いでやってきたのは、秦の始皇帝の「焚書坑儒」(始皇帝が、丞相李斯のすすめにより、自分の政治を批判するもとにな...