「おや、ばかに重いぞ」中山国遺跡のうち、もっとも規模の大きい?(シ)王の墓(「一号墓」と命名)の発掘がヤマ場にさしかかった昨一九七八年のことだ。棺のおかれた椁室の両側に、耳庫といわれる地下倉庫が三つ発見され、その二つには、おびただしい銅器がほぼ完全な形で保存されていた。もちろん土に埋もれ、重なりあい、横だおしになっていたが、盗掘者の手は及んでいない。隊員たちは、その原状を記録したのち、ひとつひとつ...
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「おや、ばかに重いぞ」中山国遺跡のうち、もっとも規模の大きい?(シ)王の墓(「一号墓」と命名)の発掘がヤマ場にさしかかった昨一九七八年のことだ。棺のおかれた椁室の両側に、耳庫といわれる地下倉庫が三つ発見され、その二つには、おびただしい銅器がほぼ完全な形で保存されていた。もちろん土に埋もれ、重なりあい、横だおしになっていたが、盗掘者の手は及んでいない。隊員たちは、その原状を記録したのち、ひとつひとつ...