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Your search : [ author:文·丘桓興 写真·丘桓興 何清] Total 60 Search Results,Processed in 0.106 second(s)
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51. 五台山―さまざまな文殊まつる寺院群
五台山は華北の山西省五台県にある。周囲を五つの山に囲まれ、頂上が平たいところからその名がついた。文殊菩薩をまつる寺院として建てられ、仏教が盛んだった唐代には、ここに三百六十余の寺院があり、万を数える僧侶がいた。しかし廃仏毀釈や戦火に遭ってひどく破壊されてしまった。一九五六年に行われた調査では、五台山全山に百二十四の寺院があることがわかった。現在、修復されて対外開放された寺院は四十七寺。僧侶は千五百
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 8 PDF HTML
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52. ジョカン寺―漢とチベットの文化融合
中国西南の辺境の地、チベット自治区は、海抜が平均四千メートル以上あり、「世界の屋根」と呼ばれている。ここに暮らすチベット族はみなチベット仏教をあつく信仰している。千七百以上ある寺院のなかで、自治区の区都ラサ市の中心にあるジョカン寺(大昭寺)がもっとも有名であるヤギがつくった寺ジョカン寺は七世紀中葉に建てられた。当時の吐蕃王国の王、ソンツェン·ガンポは、チベットを統一した後、六三三年にラサに都を移し
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 9 PDF HTML
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53. パンチェン·ラマゆかりのタシルンポ寺
タシルンポ寺は、チベット語で「吉祥の須弥山」を意味する。古代インドの宇宙観では、須弥山は世界の中央にある高山である。この寺は、チベット第二の都市、シガズェの南西にそびえるニセレ山の麓にある。寺の主な建物は、大経堂、漢仏堂、チャンバ仏殿、霊塔殿で、さらに四つのザツェン(教育·事務機関)と僧坊などがあり、建築面積は二十万平方メートル以上に達する。この寺は、歴代のパンチェン·ラマの本拠地であり、チベット
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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54. 峨眉山―普賢菩薩まつる霊場
峨眉山。二つの山が向きあう形が蛾(が)の触角のようで、美女の眉にも似ているところから「蛾眉」、さらに「峨眉」の名がついた。四川省成都市から南へ百六十キロ、唐の詩人、李白が「蜀道の難は青天に上るより難し」と感嘆した道を、いまや車なら一日で行くことができる。雄、秀、幽、奇で表せる風光峨眉山は中国の四大仏教聖地の一つである。残りの三つは、山西省の五台山、安徽省の九華山、浙江省の普陀山だ。もっとも栄えた清
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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55. 峨眉山の報国寺と楽山大仏
峨眉山の四大寺の一つに伏虎寺がある。その名の由来は二説ある。一つは寺の後ろにある山の形が、伏している虎に似ているからという説。もう一つは、昔、この山は深く、虎が出没して困ったため、陀羅尼経を刻した六角形の石柱を立てて虎を駆除したことから来たという説である。この寺は後唐(九二三~九三六年)の時代に建てられたが、その後何回も破壊と再建が繰り返された。一六五一年、清の貫之和尚のとき、また再建が始められ、
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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56. ゆるやかに時が流れる
鎮遠は、中国西南部にある貴州省の東部に位置する。この中国の歴史的な文化都市を訪れ、印象を深めたのが青山と碧水、古い路地と井戸である。渡し舟が人々の足青山に囲まれた鎮遠は、その町の中を「S」字形の?陽河がゆるやかに流れている。町の東側の河上には一九九一年冬、水力発電用のダムが建設された。水位が上がり、青くなめらかな水はまるで鏡の面のよう、両岸に軒を並べる建物は、水面に浮かぶかのように見える。一部の建
Author: 写真·馮進 文·丘桓興 Year 2002 Issue 10 PDF HTML
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57. 蚕をかたる 浙江篇(下)
「小麦は青々と、大麦は黄色に色づき、家々は養蚕に忙しい」― 江南一帯の童謡がこう歌っているように、大麦が色づき、春蚕(はるご)の繁忙季に入った月上旬、わたしたちは浙江省の省都杭州市をあとにして、銭塘江ぞいに東進し、養蚕の里海寧県に向かった。途中、桑畑がだんだん多くなる。一叢(ひとむら)一叢の桑の木の、すくすくとのびた枝には、もうてのひら大の若葉がぎっしりとついている。蚕の神の物語養蚕の地とあって、
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1985 Issue 10 PDF HTML
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58. 大相国寺―百万都市とともに繁栄
初めて『水滸伝』を読んだのはまだ若いころだったが、花和尚魯智深が大相国寺の菜園で柳の木を引き抜いた場面は、今もよく覚えている。その大相国寺は、河南省の開封にある。中国六大古都の一つとして知らぬ者はない開封だが、私がこの寺を訪れてまず尋ねたのは、魯智深ゆかりの菜園はどこですかという質問だった。「まだ探しているところです」と住持の心広法師が苦笑いしながら答えたのは、同じ質問をもう何度も受けてきたからに
Author: 文·丘桓興 写真·姚鎮 丘桓興 Year 2000 Issue 4 PDF HTML