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Your search : [ author:張春侠=文 魯忠民 楊振生=写真] Total 588 Search Results,Processed in 0.093 second(s)
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571. 「清明上河図」(部分)
「清明上河図」には、北宋の都·開封の東門大街の清明節(西暦四月初旬)での賑やかな光景が描かれている。東門大街では、各種の商業や手工業、商いが行われていて、馬上の官吏、カゴに乗った婦人、てんびん棒を担いだ人、荷車を引いている人、船を漕いでいる人など、様々な人が盛んに往来しているのが見える。複雑に入り組んだ絵は、人をうっとりさせる風俗絵巻になっている。故宮博物院に所蔵されているのは張沢端の原画で、北宋
Author: 文=魯忠民 写真提供=人民画報出版社 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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572. 故宮博物院
故宮博物院(故宮)は1925年10月10日、明·清代の皇宮建築とその収蔵品を主な文物として設立された、中国を代表する総合博物院である。明の皇宮は、1406年に建設がはじまり、1420年に落成した。故宮にはすでに580年以上の歴史がある。総面積は7.2平方キロで、中国、ひいては世界に現存する、最大で最も保存状態の良好なレンガと木材で造られた古代宮廷建築群である。現在、93万件の文物―陶磁器、玉器、青
Author: 文=魯忠民 写真提供=人民画報出版社 Year 2003 Issue 11 PDF HTML
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573. 天女散花(ティエンニュイサンホア)
世の中に幸せふりまく花は美しさの象徴で、大自然の産物である。その形や色、香りが人々の審美的な感覚をよびさますだけでなく、無限の生気が人々から好まれている。花は美しいものの喩えに広く用いられるが、たとえばかわいらしい女の子は「如花似玉」(花のごとく、玉に似る)と形容される。花の名前も、女の子に命名するさいの主な由来となっている。古代中国の民間には、たくさんの言い伝えがあり、いわく「花は人の魂がそれぞ
Author: 年画収蔵·薄松年 文·魯忠民 Year 2003 Issue 12 PDF HTML
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574. 雲南省博物館 「牛虎銅案」
紀元前約三〇〇年から同二八〇年の間、楚国の将軍、荘蹻は、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘蹻は、現在の昆明の近くにある滇池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前二八七年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘蹻が楚に帰る道を切断した。このため荘
Author: 文=魯忠民 資料提供=新世界出版社 Year 2004 Issue 1 PDF HTML
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575. 安徽省博物館 「影青蓮瓣注碗」
この磁器を仔細に観察すると、磁器本体の質はきめ細かく、色は純白で、全体に「影青釉」という釉薬がかけられ、滑らかでつやつやしている。「注壺」(酒を入れる壺)の蓋には、生き生きとした獅子の形のつまみが付いている。「注壺」の本体には、腹から足にかけて六つの「瓜楞紋」(カボチャの皮の波形に似た模様)が薄く刻まれている。注ぎ口は長く、取っ手は湾曲している。「注壺」を入れる受け皿は、上向きの六つの花弁を持つ蓮
Author: 文=魯忠民 資料提供=中国画報出版社 Year 2004 Issue 2 PDF HTML
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576. 吉林省博物院 銀(ぎん)釉(ゆう)鶏冠壺
鶏冠壺は鶏のトサカの形をした水入れである。それは、中国西部の遊牧民族が使用する革製の扁平な壺から由来している。考古学的には、陶磁器製や木製、あるいは白樺の皮で作られた鶏冠壺は、古代、契丹が分布していた区域のいたるところで発見されており、これは契丹がもっとも早くから革製の鶏冠壺を使用した民族であることを示している。唐代(六一八~九〇七年)には、毎年、契丹王が大勢の貿易使節団を率いて長安にやって来て朝
Author: 文=魯忠民 写真提供=中国画報出版社 Year 2004 Issue 3 PDF HTML
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577. 青銅神面卣
保利芸術博物館保利芸術博物館は、北京市東直門南大街の保利大廈の2階にある。1999年12月に正式オープンした。これは中国で初めての大型国有企業が興した博物館である。中華民族の優秀な文化芸術を広め、称揚し、海外に流出した中国の貴重な文物を救い、保護し、企業文化の建設を推進するというのが、この博物館のモットーである。以来、3年余り。博物館は「多くのもの、全面的なものを追求するのではなく、素晴らしく、珍
Author: 文=魯忠民 写真=保利芸術博物館提供 Year 2004 Issue 8 PDF HTML
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579. 巨大製鉄所が北京を去る日
中国の工業を牽引してきた巨大な製鉄所、「首鋼(ショウガン)」と呼ばれて親しまれてきた首都鉄鋼集団が、ついに首都の北京を去る。 来年夏に開催される北京オリンピックまでに、北京の大気を「オリンピック基準」にまで改善することを、中国は国際的に約束した。そのためには、二酸化炭素などを大量に排出する製鉄所は、北京から引っ越さなければならない。 しかし移転はオリンピックのためだけではない。近代化された新しい製
Author: 王漢平 沈暁寧 高原=文 魯忠民=写真 Year 2007 Issue 11 PDF HTML
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580. 「曽侯乙墓の編鐘」
一九七八年夏、湖北省随州市近郊で、考古学者が戦国(前四七五~前二二一年)時代初期の曽国(南方姫姓諸侯国)の支配者の墓―曽侯乙墓(そうこういつぼ)を発掘した。そこからは、礼器、楽器、兵器、車·馬器、金玉器、漆木製工具、竹簡など一万五〇〇〇余点の文物が出土した。非常に珍しいものも発掘され、現在、湖北省博物館に所蔵されている。中でも、今回紹介した曽侯乙墓の編鐘(へんしょう)は、正真正銘の逸品である。同編
Author: 文·魯忠民 写真提供·人民画報出版社 Year 2003 Issue 3 PDF HTML