紀元前約三〇〇年から同二八〇年の間、楚国の将軍、荘蹻は、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘蹻は、現在の昆明の近くにある滇池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前二八七年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘蹻が楚に帰る道を切断した。このため荘...
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紀元前約三〇〇年から同二八〇年の間、楚国の将軍、荘蹻は、軍を率いて雲南に向かった。当時の雲南は、風光明媚だが文化はまだ立ち遅れていた。荘蹻は、現在の昆明の近くにある滇池地区に到達したが、当時はこのあたりに数十の部族が分布しており、すでに青銅器文化の時代に入っていた。「滇」はその中で最大の部族であった。紀元前二八七年、秦国は司馬錯を派遣して楚国の黔中郡を奪取し、荘蹻が楚に帰る道を切断した。このため荘...