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Your search : [ author:文·武斌 写真·魯忠民] Total 65 Search Results,Processed in 0.117 second(s)
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31. 胡同案内の輪タク業
北京の方言で、「款爺(クワンイエ)」は銭で胴巻きが膨らんでる旦那、そして「板児爺(パンルイエ)」とは輪タク屋のことさ。輪タクは人力三輪車のことでな。歴史はふるい。しかし二本足で引く洋車はとっくの昔に姿を消したし、ペダルで走る輪タクも、数えるほどになった。なにしろ近頃は、バスやトロリー、タクシーが大通りを走りまわり、その上小さい「麵的(タクシー)」が安く、便利に動いてくれるようになったんだ。いまさら
Author: 写真 魯忠民 Year 1995 Issue 10 PDF HTML
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32. 晋南(下)解州の関帝廟
中国歴代の武将のなかで、蜀の関羽ほど恵まれた人はいないだろう。十六人の皇帝がかれを忠義の化身とみなして次々と尊号を贈ったが、明の万暦帝は「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」というこれ以上はない厳かな称号を贈った。文の聖人孔子と肩を並べる武の聖人である。隋唐以来、ことに明清時代になると全国至る所で数えきれないほどの関帝廟がつくられた。では全国で最大の関帝廟はどれかといえば、文句なく関羽の故郷、山西省
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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33. 江蘇省宜興市の紫砂急須
「人間珠玉安足取,岂如陽羨渓頭一丸土」陽羨とはいまの江蘇省の宜興。これは珠玉よりもまさるともいわれる宜興の紫砂の陶器を称える詩の一節である。江蘇、浙江、安徽の三省の境界近くに位置する宜興は、陶器の里として有名だ。また、茶、竹、洞もよく知られている。宜興から南へ約十キロ、丁蜀鎮に足を踏み入れるとまさにその名の通り陶器の世界。道の両側はむろん、いたるところに陶磁器が山のように積まれている。店も多く、車
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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34. 還暦を迎えた南京博物院苦難の歴史を乗りこえて
南京博物院が今年還暦を迎えた。それは苦難の道のりだった。初めて造られたのは一九三三年。国立中央博物院として発足したのは、当時、南京が中華民国政府の首都だったからだ。近代の民主革命家であり、教育者であり、中央研究院院長だった蔡元培の提唱によって収蔵、展示、研究を三本柱とする新しい博物館をめざした。第一線の建築家を招いて、一二·九ヘクタールの土地に自然、人文、工芸部門の三館を造るはずだったが、その後の
Author: 写真 魯忠民 韓強 Year 1993 Issue 9 PDF HTML
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35. 六拉村―茶山ヤオ族の里
大瑶山は広西チワン族自治区中部、東寄りの山地で、面積は二千平方キロ余り、海抜一千メートルほどの山が多いが、最高は二千メートル近い。近くの桂林が石の山なのと違って土の層が厚く、ひろい植被におおわれ、広西最大の天然樹海、そして水源の山とたたえられている。動植物の資源もゆたかで、薬用植物が千三百六十種、喬木灌木が一千種、各種の野生動物も数百種いる。大瑶山は金秀ヤオ族自治県に属し、ヤオ族の主な居住地の一つ
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 10 PDF HTML
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36. 大凳村の婚礼
六拉に別れを告げてから六巷郷へ向かった。ここは大瑶山南部の深山にある郷(行政単位)で、四十七の自然村があり、人口は四千八百人余り。そのうち花藍、坳、山子、盤と四つの系統のヤオ族が二千五百人余りいる。郷政府の人に土地の事情をきいていると、突然二十人余りの茶山ヤオの男女の隊列が,黒地に赤い糸で刺繍をした包みを背負ってやって来た。何と聖堂山のふもと大発村の婚礼に行くのだ。私たちは疲労も顧みず、いそいで行
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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37. 翁江村·山子ヤオ
私はよく祝い事にぶつかるので、みんなからついてると言われる。大発村から六巷に帰るとすぐまた翁江村に急いだら、山子ヤオ族の婚礼に出会った。山子ヤオ族は広東方面から比較的おくれてこの地に入った部族で、山子の名は貧苦のゆえのものらしい。日はすでに西に傾いていた。人だかりのする門前で、着飾った女性たちの姿が一きわ目をひいた。この婚礼も男が女の家に婿に入るのだ。花嫁の家の門前に七、八人の娘が半円を作って並び
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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38. 架梯村·盤ヤオ
架梯村は名前(梯子を掛ける)通り急坂が天まで昇っていた。この村は二十戸余り、百五十人ほどが住んでいる。もう冬に差し掛かっていたが、全身汗でセーターまでぐっしょり、頭にあるのは、早く着いて熱い湯で体を拭きたいということだけだった。服を脱ぐ時は肌寒い感じだったが、湯を使っているうちに寒さも疲れも消えてしまった。頭上には紺碧の空、正面には青山を望み、大自然に溶け入る感があった。ヤオ家では浴室内の大きな桶
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1995 Issue 2 PDF HTML
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39. 遊牧·服飾·信仰―独特の生活文化、青海省·玉樹
黄河、長江、瀾滄江の三大河川が流れ出ている青海省の玉樹は、一九万七〇〇〇平方キロもある広大な土地である。海抜五〇〇〇メートル以上の高峰が二千余も聳え立ち、平均の高さは四〇〇〇メートルを超す。遺跡によると、ここでは一万年前から人類が生息していた。唐の時代の古道はここを通ってチベットと中原を結びつけていた。現在ここに住む二十万のチベット族の同胞は、方言は異なるものの、この地域に色彩豊かな民俗の絵模様を
Author: 文·写真 魯忠民 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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40. 急流の竜羊峡からサラ族の村へ
水源から発した黄河は、山々の雪解け水と多くの支流を集め、滔々とした流れの一七〇〇余キロを経て、両岸が急峻な竜羊峡に入る。竜羊峡は全長四〇キロ、峡口の河幅四〇メートル、両岸は高さ一五〇メートルもある。崖の上から見下ろすと、流れはにわかに早くなり、波は岸を打ち、まるで巨竜のように見える。伝説では、かつてここで青羊と神竜が闘ったという。二十年前までは竜羊峡の両岸一帯は静かな草原で、樹木も人家もなかった。
Author: 文 写真 魯忠民 Year 1996 Issue 3 PDF HTML