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Your search : [ author:写真·文 周衛軍] Total 538 Search Results,Processed in 0.080 second(s)
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31. 配給制度で危機しのぐ 店舗過剰にいま批判の声も
むかし中国では、物を売買する場所を「市」と言った。自給自足の自然経済が長く続いたため、農業を本、すなわち根本とし、商業を末、すなわち末梢とする「重農軽商」思想が人々の意識に根づいてしまった。結果として商業の発展が後れ、商人は金があっても社会的地位は低かった。
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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32. 奮起した「東洋の病人」 世界記録を次々と更新
中国人は昔から尚武の伝統があり、気功、武術、弓術、ポロ、競漕、囲碁、将棋などのスポーツは今も盛んだ。
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 1999 Issue 12 PDF HTML
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33. 長い鎖国で物笑いの種に全兵種で近代化を達成
中華民族は古来平和を大切にしてきたが、中国ほどその軍隊が多くの戦争を経験した国は、世界でも珍しい。古代中国の軍隊は、不屈の精神で死線を乗り越え、ついに世界最大の帝国の一つをこの地球上につくり上げた。だが、長く続いた鎖国が、中国を落伍させてしまった。強者は勝ち、弱者は滅びる。近代以降、新式銃と大砲を持ち十分に訓練された列強の軍隊を向こうに回して、中国の軍隊はひとたまりもなく、惨敗に惨敗を重ねた。政府
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 1 PDF HTML
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34. 伝統の四合院に決別分譲住宅のニュータウンへ
北京の四合院、山西省の豪族の邸、陜西省の窰洞(ヤオトン)、江南の水郷の民家、客家の土楼、タイ族の竹楼など、中国各地には伝統的な民家が今もたくさん見られる。それらは、大昔の農耕社会で生まれ、それぞれの地理的、文化的環境の下で完成されてきた建築様式だ。 北京の場合、何千という胡同が四合院をつなげるという都市の基本プランが元代にほぼ定まり、明代以後は四合院が民家の典型となった。一口に四合院と言っても、住
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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35. チャイナネットサーフィン②
マンスリートピックインターネットでサバイバルゲームインターネットには買い物やオークション、恋人探しなどいろいろな楽しみ方があるが、今最も注目されているのが「ネットサバイバル」、つまり生活に必要なすべての物資をインターネットを通じて手に入れ、生き延びようという実験だ。最近、中国のあるプロバイダーがネットサバイバルを実施して話題を呼んだ。約5000人の応募者の中から選ばれた12人が北京、上海と広州の3
Author: 本誌·周衛軍 本誌·王波海 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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36. 男尊女卑の束縛脱し 各界にめざましく進出
[1900~11年 清朝末期]すでに19世紀の40年代から、ミッションスクールには女性教師がいた。清末には女性が主宰する女子師範学校、小学校、幼稚園が多く設立され、女性教師も増えていた。1900年から女学校の創設が一種の流行となった。教会の援助でアメリカに留学していた金雅妹らが03年に帰国し、中国最初の女性西洋医となる。07年には女子教育に関する法制化が進み、全国の大都市に女学校が設立された。19
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 3 PDF HTML
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37. 「話劇」「新舞台」で演劇革新 テレビ文化で劇場はピンチに
河南省舞陽県賈湖の骨笛や、青海省大通県上孫家寨の舞踊紋彩陶などの出土によって、中国の音楽、舞踊は少なくとも8000年の歴史を持つことが明らかになっている。元代に文学、音楽、舞踊、武術、美術などを総合した演劇が勃興し、隋から唐にかけて主役の座を占めていた歌舞は、それ自体としては廟会(ミヤオフイ、縁日の市)や秧歌(ヤンコー、北方の農村で行われていた踊り)に残るだけとなった。長い年月の間に、中国の舞台芸
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 4 PDF HTML
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38. 改革促した外因と内因 花ひらく多様な表現
1929年、中国初の全国美術展が中華民国政府教育部(文部省)の主催で開かれ、国画(中国画)、西洋画、書法、彫刻、建築、工芸、写真などの作品が展示された。ここに示されている美術の範囲は、現在よりはるかに広い。 もともと中国には「美術」という言葉はなく、今世紀初頭になって初めて現れた。急速に発展する西洋画などに対抗する意味で、「国画」「国語」「国劇」といった言葉が生まれた。
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 5 PDF HTML
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39. 「ごはんはもう済んだ?」 昔のあいさつ 今は死語
「ごはんはもう済んだ?」―つい数年前まで、中国人はこの言葉をあいさつにしていた。「民は食を以て天となす」とも言うように、「食」は中国人にとって何よりの大事であり、食文化は今も中華文明に大きな位置を占める。何を、どう料理し、どのような作法で食べるか。それらを規定した体系が形成され、色、香、味、形、音、器など、多方面にわたって美が追求された。 しかし食文化には、身分、階層、貧富の差が色濃く反映され、王
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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40. 農業国から構造転換 市場経済で近代化めざす
1840~42年のアヘン戦争以降、中国は西欧列強の砲艦外交によって大きな屈辱と打撃を受けた。その中で一群の開明的高級官僚は、国の富強、軍の精鋭化を実現するため、先進技術を導入した軍需産業や民間企業を興し、また科学技術、文化、教育などの近代的施設を創設する。中国近代史に言う「洋務運動」である。 そのリーダーの一人李鴻章は65年、上海に江南機器製造総局を創立、銃砲弾薬、汽船などの生産に着手した。中国近
Author: 構成·魯忠民 周衛軍 Year 2000 Issue 7 PDF HTML