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Your search : [ author:写真 ·文 劉世昭] Total 5016 Search Results,Processed in 0.096 second(s)
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3251. ハニ族の心をつなぐ「街心酒」路上の大宴会
天下の大道にズラッと並んだこの食卓、長さはなんと一〇〇メートルにも達するとか。いったいこれは、どういうことなのでありましょうか?ところは雲南省南部、哀牢山地方に住むハニ族の人びとが、旧暦十二月のある丑の日から二日間にわたってもよおす「街心酒」のまつり、それがすなわちこの写真なのであります。この日の朝、ドンドン、ジャンジャンと鳴りわたる太鼓やどらの音につれて、徳望高き五人のご老人が群衆の中から現れ出
Author: 写真 施志鎰 Year 1993 Issue 1 PDF HTML
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3252. 家庭での鄧小平
鄧小平はことし89歳、1988年に第一線をしりぞいてもう4年になるが、悠閑自在な日常のなかにあって、依然中国の政局と経済建設に関心を寄せている。中国の人びともまた、この高齢の「改革開放の総設計師」に注目をしているが、ここでは家庭での鄧小平の好々爺ぶりを―
Author: 写真 楊紹明 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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3253. 三国志ゆかりの地涿州
涿(たく)州は北京の南62キロにある都市。『三国志演義』の英雄劉備の出身地で、彼が関羽、張飛と桃園の義を結んだのはここだ。町の歴史は2000年以上、むかしから武将文人が輩出している。涿州の名は町なかを流れる涿水という川に由来し、面積724平方キロ、人口約50万。農業ばかりでなく、古来商業も盛んだった。清の乾隆帝はここを訪れたとき、得意の筆をふるって「天下第一州」と揮亳したほどだ。中国では将来性のあ
Author: 写真 王恩普 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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3254. 武漢港に大型バース完成 外国船第一号は日本の日佳丸
中国中部の大都市武漢の青山埠頭に、一九九二年八月二十一日、建国以来初めて外国船が入港し、その歴史に新しい一ページを開いた。武漢港は、長江をさかのぼること一一〇〇キロの内陸にあるが、早くから外国貿易が盛んで、一八六一年四月中旬にアメリカの外輪船が入港したという記録が残っている。清朝第七代咸豊帝が病死する四カ月前に当たり、その前年には英仏連合軍が北京を占領し、円明園を焼打ちするという有名な事件が起こっ
Author: 写真 饒光煜 Year 1993 Issue 2 PDF HTML
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3255. ダイ族の溌水節
中国西南部、雲南省のシーサンパンナ傣(ダイ)族自治州は、省内でも最も西南部にある。ダイ、ハニ、プラン、ラフ、ワ、ヤオ、ジノ、チワン、イ、回、ミャオ、ペー等、多民族の地域で、人口は72万人。面積は1万2000平方キロ。植物王国、動物王国、薬材の宝庫と称えられていて、広く対外開放されたいまではもうひとつ観光旅行の宝庫という美称が加わっている。シーサンパンナのダイ族には傣暦がありダイ族の新年は、大体4月
Author: 写真 郝仕傑 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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3256. 華北最大を誇る自由市場 白溝
白溝は北京、天津、保定に囲まれた要地。ここに華北最大の商品市場がある。漢代以来の市で、清代には「万盛堂」など115店が軒をつらね、江南の絹、北方の毛皮、北京や天津の雑貨などを売買していた。文化大革命で一時さびれたが、改革開放はこの町にふたたび活力を吹きこんだ。今では人造皮革の原料や製品、ニット製品、雑貨類の一大交易場になった。域内に固定店舗1075、固定と移動露店1万7000、取扱い商品は140種
Author: 写真 王恩普 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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3257. どっちが勝ったかね?北京で始まったもう一つの「闘鶏」
北京東四大街の一角にデンと構えた二つのファーストフード店―片やケンタッキーフライドチキン、片や上海栄華フライドチキン。この二店、売ってるものが双方とも鶏なだけに、とかく闘鶏に見立てられて、どっちが勝ったかねと、北京スズメの話の種だ。ケンタッキーが西洋式ファーストフードとして中国市場に初めて登場したのは八七年。北京で一、二の繁華街前門(チェンメン)に第一号店がオープンするや、下町ッ子たちがアヒルの行
Author: 写真 孫占濤 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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3258. 民芸品から現代美術へシュロ細工で新領域開拓
シュロの木の皮を編んだ手芸品の展覧会が、さきほど北京の中国美術館で開催され、中国美術史でも初めてと話題を呼んだ。作品は約四百点、その総重量は五トンになるという。作者の朱光萍さん(写真右下)は、四川省で活躍している二十八歳の青年美術家。シュロの木が立ち並ぶ野山に生まれ、幼時からいろいろなシュロ細工に親しんできた。その心に自然と一つの衝動がはぐくまれていたのだろう、一九八七年に大学を卒業して故郷に帰り
Author: 写真 唐徳坤 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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3259. 150万人目のお客さま谷学長を熱烈歓迎
一九九二年十一月十二日午後、北京空港に降り立った谷耕月さんは、到着ロビーに入ったとたん、華やかな音楽と七十人もの美女の出迎えを受け、花束まで贈られて、すっかりどぎもを抜かれました。これはだれかと間違えられたに違いないと思ったのも無理からぬ話ですが、実は谷さん、北京市が迎えたことし百五十万人目の外国人という記念すべきお客さまだったのです。熱烈歓迎はまだ続きました。谷さんは空港からベンツの高級車に乗せ
Author: 写真 李士炘 Year 1993 Issue 3 PDF HTML
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3260. 人気呼ぶ武漢の闘鶏場ベトナム生まれのシャモも活躍
武漢で名所と言えば、黄鶴楼や帰元禅寺がまず上げられるが、民衆楽園もまた、一味違った意味での名所と言ってよいだろう。一九一九年の開業で、当時は「新市場」という名の娯楽場だった。旧社会のことだから、いろんな見世物小屋のほかに、ずいぶんといかがわしい場所もあれば、それなりの連中も横行していた。一九二六年、北伐軍が攻めいったとき、蔣介石の書による「血花世界」の扁額を楽園の入り口にかけた。それは、「烈士の鮮
Author: 写真 程鉄良 Year 1993 Issue 3 PDF HTML