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Your search : [ author:華梅] Total 29 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
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21. 倒錯した男女服飾の魅力
花木蘭は中国北朝時代の伝説的女性です。一四〇〇年前の長編叙事詩『木蘭辞』にうたわれている彼女は、男装して父の代りに甲冑をつけ戦場で赫々たる手柄を立てましたが、十二年もの従軍生活を通して女性であることを見破られたことはありませんでした。戦争が終わったので、木蘭は軍隊を辞め故郷に帰りました。ようやく男性の軍装を脱いで女性の衣装に着替え、「窓に当たりて雲鬢(かみのけ)を理(おさ)め、鏡に対(むか)いて花
Author: 華梅 Year 1997 Issue 10 PDF HTML
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22. 服飾図案に見る幸福祈願
昔々、ある母親が旅に出てから何の連絡もよこさぬ息子の身を案じ、一日千秋の思いで帰宅を待っていたところ、ある日自分の服の上を一匹のクモが這っているのを見てこれこそ吉報と思いました。思ったとおり、まもなく息子は帰って来ました。吉報をもたらすクモは体も足も長いもので、民間ではこれを「喜蛛(シーチュ)」、または「喜子(シーツ)」といいます。このようなクモが人の服を這うのは、立派な客人が来るという知らせを意
Author: 華梅 Year 1997 Issue 11 PDF HTML
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23. 節句の晴れ着
後漢(二五~二二〇年)のとき、汝南(現在の河南省上蔡(シャンツァイ)の南西)の人、恒景は方士の費長房に就いて仙人の術を学びながら、長年の間修業の旅に出ていました。ある日、費長房が恒景に「旧暦九月九日君の実家に災いが降り懸かる。すぐ帰って、茱萸(しゅゆ)を入れた赤色の布袋を家族の腕に着けさせ、高い丘に登って菊花酒を飲めば災いを免れる」と言いました。恒景が師の教え通りにしたら家族はみな助かりましたが、
Author: 華梅 Year 1997 Issue 12 PDF HTML
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24. 服飾の色彩から見る文化
中国史上最後の皇帝溥儀(フーイ)(一九〇六~一九六七年)が十一歳のとき、宮廷の中で弟の溥傑(フーチエ)と鬼ごっこをしていたところ、溥傑が朝服(宮廷で着ける服)の下に黄色いシャツを着ているのがそで口からのぞいているのに気付きました。その場で「この色は君の使えるものではないだろう」と怒ると、溥傑は大変驚いて返事もできず、恭しく立ち尽した。十七世紀、清朝は黄色を皇帝専用の色と決めたものの、一九一一年辛亥
Author: 華 梅 Year 1998 Issue 1 PDF HTML
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25. 服地に見られる紡績技術
「天仙配」という芝居に出てくる話ですが、親孝行の董永(トンヨン)は父親を葬る費用を調えるために自ら身売りをしました。天宮の仙女七姉妹の一番末の妹は、おとなしくて勤勉な董永を気に入り、地上に下って彼と結婚しました。董永を身請けするのに夫の主人に百反の絹を献上することになりました。六人の姉たちに手伝ってもらって絹を織り上げ、董永は自由の身になりました。機織りはやはり大変な仕事だったのです。中国の豊富な
Author: 華梅 Year 1998 Issue 2 PDF HTML
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26. 想像力に富む舞台衣装
春秋時代、楚(そ)国の優孟(ゆうもう)はよく荘(そう)王(紀元前六一三~前五九一年在位)を遠回しに諌(いさ)めました。宰相の孫叔敖(そんしゅくごう)は彼の正直な人柄を知っていたので、臨終の時息子を呼び寄せ、将来生活に困ったら優孟に相談しろと教えました。数年後、孫叔敖の息子は果たして無一文になってしまいました。優孟は話を聞くと、孫叔敖の服を着て手振り身振りを真似し、すっかり「そっくりさん」になりまし
Author: 華梅 Year 1998 Issue 3 PDF HTML
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27. 神仙の衣装が語るもの
中国の神話に哪吒(なた)という童子の護法神がいます。毘沙門天王の第三子とされていますが、明代(一三六八~一六四四年)に書かれたおなじみの『西遊記』では、玉皇大帝(道教の最高神)に仕える托塔天王李靖の息子になっています。李靖の妻は三年半みごもったあと肉の球を産み、李靖がそれを刀で斬ると活発で利口な子供が飛び出してきました。これが哪吒だった、というのです。哪吒は、いつも炎の槍を持ち、腕に乾坤圏(チェン
Author: 華梅 Year 1998 Issue 4 PDF HTML
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28. 永遠のシルクロード
新疆のホータンで出土した七世紀の漆絵に、晴れ着の王女の傍らに侍女が立っていて、王女の髪を指差している図柄のものがあります。絵の下の方は繭や絹を入れたかごです。中原の蚕が西域に伝わったいきさつを描いたこの絵は、唐代の玄奘三蔵(六〇二~六六四年)が『大唐西域記』に記したところと一致しています。つまり于闐(いまのホータン)国の国王が唐の王女を妃に迎えたとき、蚕を西域に持ってきてほしいと頼んだので、賢い王
Author: 華梅 Year 1998 Issue 5 PDF HTML
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29. 時代が美意識を変えた
『荘子』は、戦国時代の哲学者荘周(前三六九?~前二八六?年)の思想の精髄をまとめた本ですが、その中にこういう寓話があります。荘周が旅の途中で人間の骸骨を見ました。そこで彼は道家の法を使って司命大神を呼び、この骸骨に魂を注ぎ直してもらいました。骸骨は五百年も前の人で、目が醒めると自分が真っ裸であることに気付き、荘周に衣服を譲ってほしいと頼みました。荘周は「衣服など、あってもなくてもよいではないか。鳥
Author: 華梅 Year 1998 Issue 6 PDF HTML