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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.048 second(s)
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2741. ミャオ族の銀の飾りがきらめいて
貴州省東部の台江県施洞は、清水江のほとりに位置するミャオ(苗)族の町だ。この地方一帯の渡し場であり、貨物の集散地でもある。人々はエンジンの付いた木造船に乗り、自動車は鋼鉄製のはしけ船に載せて河を渡る。今では、ここに鉄筋コンクリート製の大橋を建設するための資金集めをしているそうだ。河原に広がる市場町には河沿いに石畳の古道があり、さまざまな店が立ち並んでいる。この日は市(いち)の日ではなかったため、客
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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2742. 消え去った横町の湯沸かしかまど
20世紀末に生まれた上海人には、「老虎竈(ラオフーザオ)」(大きい湯沸かしかまど)が一体どんなものか、わからないだろう。しかし、いい年をした大人にとっては、それは暮らしには欠かせない「つれあい」だった。現代っ子からすれば、古ぼけた粗末なものに見えるだろう。しかし、かつては上海の大通りや横町(弄堂(ロンタン))の至るところに普及していた。4、5歩も歩けば、お目にかかったほどである。そして、今ではみな
Author: 陸傑=写真 程乃珊=文 Year 2003 Issue 5 PDF HTML
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2743. 第十八話 十三の皇帝陵―明
明の十三陵のなかで いちばん大きいのは永楽帝の長陵 いちばん小さいのは崇禎帝の思陵 いちばん人が訪れるのは万暦帝の定陵定陵の地下宮殿は絢爛(けんらん)豪華だが 万暦帝は満足できなかったろう なぜなら最愛の女性が ここに葬られなかったからだいちばん大きな長陵前にも触れましたが、明の永楽帝(一三六〇~一四二四年)の南京から北京への遷都計画には、北京附近の皇帝陵の造営も含まれていました。もともと初代皇帝
Author: 李順然=文 楊振生=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2744. 共働き家庭支えるお手伝いさん
住み込みの「新家族」中国語では通常、お手伝いさん(家政婦)のことを保姆(バオムー)と呼ぶ。中学卒業後に北京に出て来た沈麗敏さん(二十歳)は、李弘哲さんの家で保姆を務めて三年になる。都市での生活が長くなり、安徽省の農村で生まれ育った彼女も、今では北京の若い女性となんら変わらない。李さんは、息子家族と同居のお年寄りで、五人家族である。沈さんは、中学生の李さんの孫娘と同部屋で寝起きしていて、今では二人は
Author: 侯若虹=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2745. 先祖守った神祭る千古一村
江西省撫州地区にある楽安県牛田鎮に、千年の歴史を誇る有名な村落がある。流坑村である。同村には、八百二十戸、四千七百余人が暮らしている。面積は三·六一平方キロあり、楽安県で一、二を争う大きな村である。五代時代·南唐の昇元年間(九三七~九四二年)に成立し、大多数の村民が董姓を名乗り、漢代の大学者である董仲舒を始祖として崇めている。この流坑村は、独特な「三奇」で世に知られている。一つ目は、明·清代の民家
Author: 張幇人=文 魯忠民=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2746. 自動車と電気を生み出す「夜郎国」
安順は貴州省の中部、貴州高原の平地に位置する。早くから開かれた土地で、二千年前の戦国時代に、西南少数民族が地方政権をとった牂牁国(そうかこく)と夜郎国(やろうこく)の発祥地である。古代の成語に「夜郎自大(やろうじだい)」というが、それは昔、夜郎国の王が漢国の強大さを知らずに、尊大にふるまった故事によるものである。当時、西南地方の百を数える国のなかでは、滇国(てんこく)(雲南の地にあった古国)と夜郎
Author: 丘桓興=文 馮進=写真 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2747. さようなら給水ポイント
上海の公共給水ポイントは、新中国の成立初期につくられてから半世紀もの歴史をきざんだ。その盛衰のうつりかわりは、上海の都市建設のあしどりをある側面から記録した。五十年前、新中国が成立したばかりのころ、上海のインフラ施設は、ずいぶんと立ち遅れていた。当時上海には、楊樹浦や閘北、南市、浦東などの地に浄水場があったものの、給水量には制限があり、その施設も不足していた。百万あまりの市民たちに、水道水が行き渡
Author: 陸傑=写真 鄭小明=文 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2748. 日本舞踊を伝えたい 李玉蘭さん
李玉蘭(リーユィラン)さんは、小さいころから踊りと深い縁がある。1976年、14歳で舞踊を専門に習いはじめた。82年、北京舞踊学院表演学部に進学、民族舞踊を学び、卒業後は中国中央歌舞団舞踊チームに入団した。92年、日本女子体育大学に留学し、「日本民族舞踊研究室」で修士課程を専攻。たまたま、舞踊家·花柳千代さんの『大敦煌』を鑑賞し、「古典舞踊だけが、その国の踊りの心を表している」と会得、94年には有
Author: 表紙写真·郭実文·張春侠 Year 2003 Issue 6 PDF HTML
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2749. 江南民家を守りぬく
江蘇省の古い街、鎮江市の倉巷六十九号に、張雲鵬故居がある。このほど、ここに、ユネスコから一通の手紙が届けられた。 この住宅に現在住んでいるのは、張雲鵬の息子の張松本さん、張松祥さんの兄弟である。二人がこの手紙を開けて見ると、そこには英文で、彼らが長年にわたり保存してきた父親の住宅が、ユネスコによって、二〇〇〇年のアジア·太平洋地域の文化遺産保護賞に選ばれたことが記されていた。これを読んだ兄弟は、感
Author: 李遜生=文 郭実=写真 Year 2003 Issue 7 PDF HTML
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2750. 本のサロンで山語る
近年、北京市民の余暇は彩りが増し、日に日に個性化している。いこいの場として人気の「吧(バー)」(バー、喫茶店)はその一つで、映画吧、劇吧、サッカーサポーター吧、バイク吧など、様々なテーマの特徴的な吧がある。国家図書館北門の喧噪から離れた場所にある「行摂匆匆(シンショーツォンツォン)」は、旅行と写真·映像がテーマの「書吧」。字のとおり、書籍や雑誌を楽しめる空間である。(「摂」は日本語の「撮」の意味)
Author: 王海燕=文 楊波=写真提供 Year 2003 Issue 7 PDF HTML