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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.157 second(s)
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2681. 世界のパフォーマンス
「何十年と生きてきて、村がこんなににぎわったのは初めてだ。世界中の芸能をこの目でみるなど、思いもよらなかったよ」。北京の南部·大興県定福荘の劉じいさんは、村で行われた国際的なイベントを目の当たりにして、そううれしそうに語った。世界五大陸·三十二カ国の民間芸能団が、「北京国際観光文化節」に参加したときの一幕である。北京市政府などが主催するこのイベントは一九九八年にスタート。毎年九月に北京で行われてい
Author: 写真·劉世昭 文·于軍 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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2682. パンチェン·ラマゆかりのタシルンポ寺
タシルンポ寺は、チベット語で「吉祥の須弥山」を意味する。古代インドの宇宙観では、須弥山は世界の中央にある高山である。この寺は、チベット第二の都市、シガズェの南西にそびえるニセレ山の麓にある。寺の主な建物は、大経堂、漢仏堂、チャンバ仏殿、霊塔殿で、さらに四つのザツェン(教育·事務機関)と僧坊などがあり、建築面積は二十万平方メートル以上に達する。この寺は、歴代のパンチェン·ラマの本拠地であり、チベット
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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2683. 心洗われる智者大師の説法所
天台山は仏教、道教の修業者たちが目指す霊山とされ、その風光明媚は、しばしば伝説の「蓬莱仙境」に喩えられる。五七五年、高僧の智顗が二十余人の弟子を連れてこの山に入り修業を開始し、後に禅寺を建て、現在まで大きな影響力を保っている天台宗を開いた。智顗(五三八~五九八)は高官の家に生まれたが、仏教との縁があったらしく、二十歳の時に出家し、当時の金陵(今の南京)に行って禅の教えを作り広めた。その後弟子を率い
Author: 文·許振宇 写真·高弘奇 Year 2001 Issue 10 PDF HTML
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2684. 峨眉山―普賢菩薩まつる霊場
峨眉山。二つの山が向きあう形が蛾(が)の触角のようで、美女の眉にも似ているところから「蛾眉」、さらに「峨眉」の名がついた。四川省成都市から南へ百六十キロ、唐の詩人、李白が「蜀道の難は青天に上るより難し」と感嘆した道を、いまや車なら一日で行くことができる。雄、秀、幽、奇で表せる風光峨眉山は中国の四大仏教聖地の一つである。残りの三つは、山西省の五台山、安徽省の九華山、浙江省の普陀山だ。もっとも栄えた清
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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2685. 天台宗の発祥地
中国浙江省天台県の北方に位置する天台山は、風光がことのほか美しく、中国の文化史における名山である。天台宗の開祖である智顗(ちぎ)大師が、弟子を率いて天台山に登る前に、すでに徳の高い僧侶や有名な道士が、貴重な文化的な足跡を残していた。山中には多くの仏寺や道観があり、有名な人物ゆかりの遺跡もあって、それが濃厚な宗教的雰囲気を醸し出し、静けさの中にも天台山の文化の高まりを感じさせる。書家の王羲之、詩人の
Author: 文·陳虹 写真·高弘奇 Year 2001 Issue 11 PDF HTML
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2686. 大連「国際ファッション祭」にわく街
中国北方の国際都市·大連が、今年もファッションの祭典にわいた。第十三回を迎えた「大連国際ファッション祭」である。にぎやかな祭典のもようとアパレル(服飾)産業の実態について、現地を訪れ取材した。「新世紀、新大連」―。大連国際ファッション祭の開幕式は、スローガンをそう高らかにうたいあげた。今世紀初となる開催に、大連の新たな思いが込められたものだ。式典が行われた市内の人民スタジアムは、六万人の市民や観光
Author: 写真·文 小林さゆり Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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2687. 峨眉山の報国寺と楽山大仏
峨眉山の四大寺の一つに伏虎寺がある。その名の由来は二説ある。一つは寺の後ろにある山の形が、伏している虎に似ているからという説。もう一つは、昔、この山は深く、虎が出没して困ったため、陀羅尼経を刻した六角形の石柱を立てて虎を駆除したことから来たという説である。この寺は後唐(九二三~九三六年)の時代に建てられたが、その後何回も破壊と再建が繰り返された。一六五一年、清の貫之和尚のとき、また再建が始められ、
Author: 文·丘桓興 写真·馮進 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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2688. 済公のふるさと·天台山
済公は、中国では誰もが知っている有名人だ。頭が切れて勇敢、ユーモアもある人の象徴で、「一休さん」の老人バージョンといったところだろうか。彼の物語は民間に広く伝えられていて、中には神話化しているものもあり、庶民から「活仏」として慕われていた。済公は実在の人物で、法名を道済、実名を李修元(一一三〇~一二〇九年)といい、南宋時代、天台県永寧村に生まれた。幼少時には赤城山で学び、のちに杭州の霊隠寺にて出家
Author: 文·陳虹 写真·高弘奇 Year 2001 Issue 12 PDF HTML
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2689. 中国の飛躍の年に
二〇〇二年の幕が開け、新年を祝う鐘の音とともに、中国の大地の上に歓声が沸いた。昨年の巳年はまさに「金蛇が舞う」年に恵まれ、中国人にとっては多くの夢がかなえられた。その収穫を振り返る時には、だれもが大きな喜びを抑えることはできないだろう。世界経済が停滞する中、中国経済は高い成長率を保ち続けている。昨年十月に上海で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)で、ホスト国である中国の実力は各国首脳に深い
Author: 文·緑楊 写真提供·(CNSPHOTO) Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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2690. 第一話 北京の点と線―はじめに
五十万年も昔の北京原人から 北京を舞台に脈々と続く人類の歩み そこに現われたあの事件この人物 『三国志』の劉備は北京っ子だった 詩仙李白は北京で詩を詠んだ わかき日の毛沢東は北京で恋をした こうした点と点とを繋いでいくと 浮かびあがってくる一本の線……劉備も北京っ子国内旅行にしろ、国外旅行にしろ、帰りの飛行機が北京の上空に差しかかると、毎度のことながら知らず知らず身を乗り出すようにして、窓の下の景
Author: 文·李順然 写真·馮進 Year 2002 Issue 1 PDF HTML