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Your search : [ author:写真·文 何竜盛] Total 488 Search Results,Processed in 0.195 second(s)
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251. 貧困から脱出した貴陽市
貴州省―くもりや雨の日が多いので、「天に三日の晴れもなし」と言われていた。雲南省に連なる雲貴高原の東部に位置して平地が少ないので、「地に三尺の平らもなし」と言われていた。貧しい土地なので、「人に三文の銀もなし」とまで言われていた。貴陽市は、そんな貴州省の省都。だが、近年の発展は目を見張るものがある。豊富な生物、エネルギー、鉱産物、観光などの資源を掘り起こし、先進技術を導入し、西南中国における一大工
Author: 写真 文·劉世昭 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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252. 王家大院―威容誇る豪族の邸
山西省の省都·太原の東南約百五十キロ、霊石県静昇鎮に、「王家大院」と呼ばれる堂々たる民家がある。王家は、古代の仙人王子喬の子孫と言われる、霊石県の四大名家の一つ。現存する建築群は清の初期、康煕年間(一六六二~一七二二)から百年以上にわたって建てられたもので、建築面積は実に十五万平方メートル、住宅五十四棟、部屋数千五十二室に上る。大院は、高家崖と紅門堡という東西二つのブロックに分かれ、一本の橋を隔で
Author: 写真 文·王恩普 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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253. リースー族の里、維西県
梅里雪山を後に、私達は瀾滄江に沿って南にむかう予定にしていた。ところが、道路が山崩れで不通との情報が入り、徳欽県から中甸経由で維西県へと、ルートを変更することにした。維西県は、北は徳欽県に接し、東は中甸と川をはさんで向かいあう。全国唯一のリースー(傈僳)族の自治県だ。この地にはリースー族のほか、ナーシー(納西)族、チベット族も暮らしている。交通が不便なため、大部分の土地は今に至るまで外界との往来が
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 6 PDF HTML
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254. 白水台―ナーシー族の白き聖地
中甸の東南百十キロにある三坎は、迪慶チベット族自治州の中で唯一認められた「ナーシー(納西)族自治郷」だ。ここにはナーシー族の東巴(トンバ)教の聖地で、壮大な石灰岩段丘として名高い「白水台」がある。「白水台」の海抜は二千三百八十メートル。大昔の石灰質堆積物が雨水の浸食作用を受け、気の遠くなるような時間を経て変化した、神秘的な風景が目の前に広がる。「白水台」の面積は約三平方キロ。ナーシー族はここを「シ
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 7 PDF HTML
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255. 高原の輝く真珠「碧塔海」とラマ教寺院
迪慶(てきけい)高原に点在する湖や沼には「海」と呼ばれているものが多い。高地の水源が人々にとってどれほど貴重なものか、「海」という呼び名からもうかがえるようだ。中甸(ちゅうでん)県の県城(県の行政の中心地)から東へ二十五キロにある湖「碧塔海」もその一つ。昔から「高原の真珠」と呼ばれ、周囲に原生林が広がる自然保護区となっている。私達が原生林地帯に着き、丸木橋を渡ると、馬を連れた十数人のチベット族が待
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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256. 福建省に残る蒲仙戯 12世紀演劇の生きた化石
福建省の内陸都市·南平市で私は、巡業中の「仙游鳳鳴劇団」の一行にたまたま出会った。仙游というのは、南平の約百キロ南にある蒲田地区の仙游県のこと。同じ福建省でも方言は全く違うのだが、この劇団が南平の廟会(ミャオホイ)(縁日)に招かれたのは、土地の狭い仙游から南平に移民するものが昔から多かったためで、ふるさとのなまりを懐かしむ仙游出身者が、六日間の公演で多い日は千人も見物にやってきた。この劇団が演じて
Author: 写真 文·呉水金 Year 1999 Issue 8 PDF HTML
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257. シャンハイの今を撮る
文化大革命が始まった一九六六年、紅衛兵の大串聯(ダーチユアンリエン)(革命を経験するための大交流)に参加して、私は初めて上海に行った。社会全体が混乱していた時期だから、この大都会に格別の印象を受けること億なかった。二度目は十八年後の一九八四年だが、写真記者として日本を訪問した帰りの船で着いただけなので、やはり印象が薄かった。しかし、九〇年代に入ると話は一変する。四回の訪問はすべて「驚き」の一語に尽
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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258. チベット伝統工芸の里―奔子欄(ほんしらん)と尼西(にせい)
中甸(ちゅうでん)県の奔子欄(ほんしらん)郷はチベット族の伝統的服飾文化で名高い土地だ。ただし、村人たちは高価な伝統衣装をふだんは身につけることがない。今度の旅では幸いにも中旬県で開かれた第二回康巴(こうは)(チベット東南部の旧行政区画名)芸術祭の会場で、それらを目にすることができた。衣装類は、まさに土地の美と富の競演ともいうべき素晴らしいものだった。人類の歴史のなかで、服飾文化は重要な位置を占め
Author: 写真 文·成衛東 Year 1999 Issue 9 PDF HTML
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259. 歴史彩る偉人のふるさと―浙江省紹興
紹興は豊かな自然にも恵まれ、数多くの著名人ゆかりの地として知られている。政治家、思想家、文学者、芸術家、科学者など、中国史を彩る優れた人物たちがここから生まれた。紹興と関わりのある偉人の数は数百に上り、彼らの存在がこの街に独特の重みと風格を与えている。街に残る彼らの生家や屋敷、庭園や祖廟など、数々の関連史跡は多くの旅人の心を引きつけて離さない。書道の聖地 蘭亭中国の歴史上最も有名な書道家である王羲
Author: 写真 文·劉東平 Year 1999 Issue 11 PDF HTML
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260. キャリアとモデル業を両立
九九年七月二十四日、四川省成都市体育館。第一回中国服飾芸術祭、スーパーモデルコンテストの最後の瞬間が訪れた。江蘇省南通市出身の梁馨さんの結果は、第二位だった。ただし特別賞を三賞獲得して、地元のメディアでは「無冠の王」と実力を讃えられた。身長百七十七センチの梁馨さんは、名門南京大学卒。恵まれたプロポーションに加えて飛び切りの才女だ。子供の頃から、バスケットボールのコーチについたり、テレビ番組に参加し
Author: 写真 文·劉世昭 Year 1999 Issue 12 PDF HTML