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Your search : [ author:写真佐渡多真子
文 原口純子] Total 4070 Search Results,Processed in 0.107 second(s)
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2381. 黄河滔々河南篇(下)
黄河は中国第二の大河であり、中華民族の揺籃である。早くも八十万年前の昔、黄河流域に生活した原始先住民は、中国の古代文明を創りはじめたのである。ところが、川水が黄色く濁っていることから名付けられた黄河は、害をもたらす川でもあった。二千年余りこのかた、決壊·氾らんすること千五百回余り、河道の変化が二十六回もあった。洪水は黄河両岸の人民に多大な災難をもたらすとともに、沿岸の村々に独特な習俗を形づくらせた
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 2 PDF HTML
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2382. 名酒 茅台の里 貴州篇
中国きっての名酒茅台酒は貴州省仁懐県茅台鎮(町)で産する。昨年の冬、わたしは中国民航機に乗って西南へ二〇〇〇キロを飛び、貴州省の省都·貴陽市に来た。すぐ茅台鎮に向ったが、折悪しくその日は寒波の襲来に遭った。山をめぐる道ばたの木々は、まっ白な霧氷がついている。夕方、山々にとり囲まれた谷あいの小さな町、茅台鎮に着くと、頰を撫でるようなそよ風にのって、芳しい酒の匂いがぷんと鼻をついた。ふと「風来りて隔壁
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 3 PDF HTML
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2383. 馬帮喜鵲衣火把節 雲南篇
馬帮―山間運送隊一筋の山道が金色のリボンが舞うように、一面の茂みをぬって山上へと伸びている。とつぜん、くぼみの方からクワンクワンという鈴の音が聞こえてきた。鈴の音が近づくにつれて、荷物を積んだ馬の列が、ドドッと馬の蹄をひびかせながら現れた。昨年の冬のことである。西南辺疆の雲南省富民県の山村を訪れたとき、たまたまこの地方に昔からあった荷馬の列にであった。この隊列の最後を歩いている馬方の金さんは、還暦
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 4 PDF HTML
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2384. 食在広州 広東篇(上)
広州は、中国南部の古く、かつ美しい都市である。言い伝えによると、昔、五色の着物を着た五人の仙人が、それぞれ毛色の異なった羊にまたがって、南の海からここへやってきた。仙人たちは、穀物の穂を一本ずつ人びとに贈って、この地が飢饉に見舞われないように祈ってくれたという。そこで、人びとは親しみをこめて、広州のことを羊城(ヤンチエン)あるいは穂市(スエスー)と呼んでいる。市の中心にそびえる越秀山には“五羊”の
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 5 PDF HTML
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2385. 客家人 広東篇(下)
生まれ故郷蕉嶺県をあとにして久しい。今、民俗探索の取材旅行をかねて、実家を訪ねる。一挙両得というべきか、わたしは“幸せいっぱい”である。朝まだきに、バスで広州を離れた。東行千里、日が落ちてようやく県城に着く。中国共産党蕉嶺県委員会の宣伝部に勤める同窓の黄坤泉君が、出迎えてくれた。宿舎に落ちつくと、黄君がまず桶に湯を汲んできてくれて、旅のほこりと疲れを洗い落とせという。急須にたっぷりと烏竜(ウーロン
Author: 文·丘桓興 カメラ·魯忠民 Year 1986 Issue 6 PDF HTML
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2386. 除夕―辞旧歳迎新春
首都博物館蔵農暦の臘月三十日は大晦日。春節でいちばん賑わうのがこの日です。昼間は庭の掃除をしたり、門に対れんを貼ったり、部屋に年画を飾ったりして新年を迎える準備におわれます。夕方には、街のあちこちを走り回る子どもの姿が見られます。人びとの喜ぶ“福の神様”や“かまどの神様”を各家に届けに行くのです。前者は家が豊かになるように、後者は五穀豊穣、衣食足りることの願いが込められています。この日食べる夕飯は
Author: 写真 谷中秀 文 岫嵐 Year 1989 Issue 2 PDF HTML
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2387. 玩具
河南省南陽で出土した漢代の画像石「許阿瞿画像」の中に、許阿瞿の四歳の誕生日の光景が描かれている。子供達が木でつくった鳥や小さな車などの玩具を手に手に、追っかけっこをしてたわむれているのだ。このような漢代の木の玩具が、いまもなお河南省の浚県、尉氏、淮陽などの農村に伝わっている。春節(旧正月)や縁日には、素朴で土のにおいのする人形、猿の木登り、猪八戒などの玩具が売られ、好みのものを選んで買うのが、子供
Author: 文·楊士俊 写真·翁乃強 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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2388. 竜舟図
首都博物館蔵周の穆王(ぼくおう)は鳥の舟、竜の舟を大河に浮かべて遊んだとか、隋の煬帝は竜舟に乗って揚州を行幸した、と伝わっているように、中国の船の歴史は相当古いのです。では、天子が乗った竜舟はどんなものだったのでしょうか。穆王の竜舟についての記載は一つとして残っていませんが、『資治通鑑』には煬帝の竜舟の記載があります。それによると、舟は四層から成り、最上階には正殿、内殿、そして東西に朝堂。二階と三
Author: 写真 谷中秀 文 沈平 Year 1989 Issue 6 PDF HTML
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2389. 中秋拝月
農暦の八月十五日は「中秋節」、伝統ある祭日です。時代が変わって、月を祭る習慣は少なくなってしまいましたが、それでも中秋節は人情味あふれる祭日として今でも残っています。月をながめると、ふだん離れて暮らす家族や親しい友人への思いがつのります。だからこの日だけは、みんなが席を共にして中秋の名月を楽しみ、「団圓飯(トアンユアンフアン)」(いっしょにとるご飯)や月餅を食べるのです。清代康熙年間の『大興県誌』
Author: 写真 谷中秀文 葉渡 Year 1989 Issue 9 PDF HTML
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2390. 腹掛け
黄土高原の陝西省の農村では、腹掛けを使う習慣がある。胸や腹を冷やさない用心に、もともと木綿の布で作る実用品だが刺しゅうの名手である陝西の女たちの美意識は、これを独特の民間芸術品に仕上げている。凝った刺しゅうの腹掛けは、若者も愛用する。白の上衣はわざとボタンをかけず、女たちの丹精こもる赤い腹掛けをのぞかせ、頭を白いタオルで包み、黒いズボンをはく伝統のいでたちはイキなものだ。夏じゅうまるはだかでいるワ
Author: 文 楊士俊 写真 劉世昭 Year 1989 Issue 11 PDF HTML