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Your search : [ author:写真·文 何竜盛] Total 488 Search Results,Processed in 0.087 second(s)
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211. 写真館 ブライダル産業に変身
最近北京の街を歩いていて目につく現象の一つに、結婚記念専門の写真館がめっきり増えたことが挙げられる。だれでも手軽に写せる簡易カメラが、中国でも十数年前から普及し始めたため、街の写真館はすっかりさびれ、感光材料やDPの店に変わったのはまだましな方、全く別の商売に転業してしまったところも少なくなかった。ところがいま、改革開放が進んだおかげで生活水準が向上し、人びとは過去に一度捨てたものを見直すようにな
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 9 PDF HTML
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212. 金華ハムの産地 金華市
金華は古称を婺州(ぷしゆう)といい、その由来は金星と婺女星が輝きを争ったとの言い伝えによる。金華は有名な金華ハムの産地で、昔からハムの故里という異名もある浙江省中部の中心都市、人口は四三〇万。漢族のほかシェー族、回族、ミャオ族、満州族など三十六の民族が住んでいる。二千年の歴史をもち、浙江省中部の経済·貿易の中心地として発達してきた。また商業のほかに工業、農業も盛んで、省の食料基地ともいわれ、八百年
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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213. 健康増進も機械化時代30の機能もっ高級品も
「なにをやるにも体が元手」という。確かにそれは昔も今も変わらぬ真理だが、その健康を保ち、増進する方法が、ずいぶん変わってきた。経済のめざましい発展によって、中国でも八〇年代末ごろから、都市はもちろん、ちょっとした地方の町にもトレーニングセンターが店開きし、一般家庭にもさまざまの健康器具が入ってきたのだ。北京の「利生トレーニングセンター」と言えば、一九九一年にオープンしたとき九千人もの入会申し込み者
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 11 PDF HTML
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214. 韓城-司馬遷眠る夏陽の里
二千年前の前漢に、すぐれた歴史学者文学者司馬遷が中国最古の史書『史記』を著し、中国史上だけでなく海外にもその名を知られるところとなつた。彼の故郷は夏陽―いまの韓城布にあたる。韓城、それは黄河中流に近い陜西省にあり、面積は一六〇〇平方キロで人口が三十万、地形は東低西高。市の北、黄河の西に竜門があり、むかし大禹という人が治水のためそこの山を真っ二つに割ったという。これは黄河ののどもとにあたるが、両側は
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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215. 家教熱 家庭教師に見る需給関係
生活水準の向上とともに知識欲も高まる一方。いま中国の都会では家庭教師、略して「家教」につく人が急速に増えている。この家教につく人には四つのタイプがあることが、今回の取材を通じてわかった。まず第一に「趣味·啓発」型というのがあり、これはほとんどが小学生。第二の「特定科目の補習」は中学生に多く、第三の「短期強化」は入学試験を控えた高校生とか資格試験をめざす社会人。そして第四の「業務研修」は社会人に限ら
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 12 PDF HTML
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216. 国旗掲揚3000回
僕の名は謝耀兵。河南省抉溝県の出身で、二十二歳。身長一メートル八三。一九九〇年に軍隊に入って以来、中華人民共和国国旗護衛隊に勤務している。もうそろそろ五年になるわけで、国旗昇降の儀式に三千回以上参加したことになる。現在は隊長代理の職にあり、隊員の訓練を担当している。この護衛隊の前身は、一九八二年に天安門地区警備となった中国人民武装警察都隊の天安門中隊国旗班だ。一九九一年五月に国旗法が実施され、これ
Author: 写真·文 時新徳 Year 1995 Issue 4 PDF HTML
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217. 全員集合ファミリーバンド
北京市西城区のある胡同に、「ファミリーバンド」を組んでいる一家があると聞いて、さっそく取材にかけつけた。聞こえてくる音楽の響きに導かれて、私たちはあちこち迷うことなく、ささやかな歯科医院の前に着いた。中に入ると、二十人ほどの人がてんでに楽器を持って練習に励んでいた。私たちの来意を聞いて、最年長らしい紳士がニッコリ笑い、あらたまった話は後にしてまずは一曲と、『今宵あい集う』という曲を演奏してくれた。
Author: 写真·文 劉思功 Year 1995 Issue 6 PDF HTML
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218. 母子4人で出稼ぎ6年
私は汪文秀といいます。五十四歳です。家は安徽省の農村なんですが、一九八九年から北京に出稼ぎに来ています。夫は村営学校の教師で、給料がとても安いんですよ。それに長男が結婚することになりまして、その資金もいる。改革開放以来、私たちの村でも都会に出稼ぎに行く者が年々増える一方で、娘たちがウチも行こう、と言うんです。あの子らには都会へのあこがれもあったんでしょうが、畑仕事もあるし、八十過ぎたおばあちゃんも
Author: 写真·文 歩鉄力 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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219. レフェリー変じて運転手
このミニバンタクシー、愛称を麵的(ミエンディ)という。的は的士(タクシー)の略、麵はパンのことで、ボディーの形がなんとなく食パンに似ているというわけ。いま北京には三万台の麵的が走っているそうだが、ここに登場願った王鎖立さんは、並のタクシードライバーではない。生まれは一九五六年。子供のころからスポーツが大好きで、とくにサッカーが得意、中学では全校チームの選手として活躍していた。だが、当時の先生の影響
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1995 Issue 9 PDF HTML