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Your search : [ author:写真·文 何竜盛] Total 488 Search Results,Processed in 0.173 second(s)
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201. 興義―馬嶺河と万峰嶺
貴州省の省都から車に乗り、周囲を盤江が流れる貴州西南部に向かった。南へ十時間、自治州役所のある興義についた。今回の取材旅行の始まりである。盤江は中国第三の大河、珠江上流の総称だ。雲南省が水源で、貴州西南部のブイ族ミャオ族自治州を流れる南盤江、北盤江から成り立っている。二つの河は合流して紅水河となり広西に入る。昔、ここに牂牁(そうか)国があったので牂牁河と呼ばれた。『史記』『漢書』によれば当時は軍事
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 1 PDF HTML
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202. 歴史と文化の息づくまち 古風な中にもみなぎる生気
貴州省貴陽市から南へ二十九キロのところに完全に保存されている古い町·青岩鎮があり資料によると六百年余の歴史をもつという。貴州には古くから伝わる四つのことばがあって、一打鼓(金沙鎮)、二永新(湄潭鎮)、三茅台(有名な茅台酒の産地)、そして次に四青岩と続くように、青岩鎮は歴史上貴州に重きをなす四つの町の一つである。青岩は昔この一帯の経済文化の中心地であったことから、広西への通り道の頃の古い石畳が今もな
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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203. 安竜明朝最後の「国都」
興義市から車で国道三二四号線を東に走り、第二の目的地、安竜県に向かった。距離はわずか百キロだが、辺鄙な山地なので幹線道路とはいうものの未舗装のでこぼこ道で坂やカーブも多く山崩れの所もあって、三時間もかかった。安竜は地図でも簡単には見つからないが、歴史的には明朝の遺臣が小朝廷の「国都」にした地で、十八義士の物語も残っている。一六四四年、中国最後の封建王朝、大清帝国ができたが、打倒された明の桂王、朱由
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 2 PDF HTML
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204. コレクションにも新時代
一九九三年四月十八日、避暑地で知られる河北省の北戴河で、十九の省·市を代表するさまざまのコレクター百十三人が集まり、中国文物学会民間収蔵委員会の発足が宣言された。この全国組織の誕生がきっかけとなったのか、昨年は「コレクター元年」ともいうべき年となった。六月に上海で開かれた第二回中国民間美術大会では、数十人のコレクターの特別コーナーが設けられた。北戴河の近くに新しく完成した「中国万博文化城」で、七月
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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205. 冊亨―プイ族の集落と芝居
安竜県を後にして、雲南省の昆明と広西チワン族自治区の南寧をつなぐ自動車道路を今回最後の取材地、冊亨県に向かった。道はやはり悪く、一〇〇キロ足らずなのに半日もかかった。この一帯はプイ(布依)族の集落で、私はまず秩壩鎮に行き、鎮長の岑さんの案内で板用寨の取材をした。ここのプイ族の家はほとんどが山を背に、川の近くに建っている。車を下りると、田んぼで村びとが稲刈りをしているのが見えた。小川の向こうの山の中
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 3 PDF HTML
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206. 太湖のシラウオ漁
五月二十六日は、中国五大湖の一つ、江蘇省は太湖のシラウオ漁が解禁になる日だ。前日から準備万端を整え、漁場で待機していた漁師たちは、この日午前八時を期していっせいに操業を開始する。記者は、昨年五月取材で蘇州を訪れたとき、同市から南四〇キロの湖岸にある呉県太湖郷に足を伸ばし、三日間漁船に乗って漁民と寝食を共にした。その模様をカメラとペンでつづってみよう。太湖郷は、典型的な漁村だ。人口一〇〇四八人のうち
Author: 写真 ·文 劉世昭 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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207. ぺットブーム 中クラスのイヌで数万元
いま中国の多くの都市で、ペットブームが起こっている。経済の発展によって登場した「大款(ダークアン)」と呼ばれるにわか成金たちは、他人の及ばない「文化生活」をペットに求めた。新しい時代の新しい趣味をペットに見出した若者たちもいる。定年退職してわが家に落着いたものの、身辺をみてくれるはずの子どもたちは、すでに精神的にあるいは経済的に独立しており、終日テレビを空しく見ているだけという、そんな老人たちの慰
Author: 写真·文 凌幼娟 Year 1994 Issue 5 PDF HTML
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208. 北京にインテリア·ブーム
新しい住宅団地が次々と建設され、いま北京はちょっとしたインテリア·ブームにわいている。もともと北京っ子は、室内を飾るということをほとんどしなかった。引っ越しをしたときや、結婚したときくらいは、壁を塗り替え、窓のカーテンを新調し、家族の写真を入れた写真立てを飾ったりするが、内装と言ってもその程度のことだった。事情が変わってきたのは、一九八〇年代後半からで、床にビニールタイルを張り、化繊のじゅうたんを
Author: 写真·文 魯忠民 Year 1994 Issue 7 PDF HTML
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209. CD熱FM放送局も番組に
改革開放が進み、経済や文化が発達するにつれ、人びとの趣味も多様化し、高級化してきた。近年多くの都市でCD音楽のファンが急増しているのも、その現象の一つだ。病(やまい}こうじてファンからマニアに変身するのも、多くの趣味の行き着くところ。マニアたちはさらに、他人にはない、自分だけの独自性を追求しようという熱病にとりつかれ、類は類を呼んで「フィーバ―仲間」が自ずと形成されてゆく。CDに関して見ると、北京
Author: 写真·文 劉世昭 Year 1994 Issue 8 PDF HTML
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210. ここは福安·畲(シエー)族の古里
畲(シエー)族は中国五十六民族のうち人口が第二十番目の約四十万人で、福建·浙江·広東·江西·安徽の各省に文布している。中でも福建省寧德地区の福安市は、五万八千人のシェー族が集中していれ「畲族第一の故郷」といわれる。シェー族の歴史は古く、かつて外敵を防いだ英雄·槃瓠(ばんこ)が皇帝の三女を嫁に貰い、更に槃·蘭·雷·鐘の四姓を贈られたが、のち山地に居を移して狩獵や焼き畑耕作で暮らしたのがシェー族の始ま
Author: 写真·文 王恩普 Year 1994 Issue 9 PDF HTML